Welcome to Calvary Chapel-Japanese Fellowship

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新約聖書

テモテへの第一の手紙の学び


背景


テモテへの第一の手紙は手紙の冒頭に「わたしたちの救主なる神と、わたしたちの望みであるキリスト・イエスとの任命によるキリスト・イエスの使徒パウロから、信仰によるわたしの真実な子テモテへ。父なる神とわたしたちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安とが、あなたにあるように。」と、述べられているように、使徒パウロが信仰の愛する子として信頼するテモテへ直接宛てて書かれた親書とされています。

パウロとテモテとの関係は、おそらく紀元48年頃から紀元49年頃にかけての第一次伝道旅行でパウロとバルナバが当時の南ガラテヤ、ルステラ地方を訪れ、このときに信者のユダヤ婦人ユニケを母とし、ギリシヤ人を父とする少年テモテに出会ったときから始まったと考えられます。               

その後、パウロは紀元49年の暮れ頃から第二次伝道旅行のときにシラスと共に小アジア(現在のトルコ地方)を旅し、このときからパウロはテモテを弟子として小アジアに於いて諸教会の信仰を強めようと活動を続け町々を伝道しようとしました。しかし、一行はアジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたために、マケドニア、アケア、ギリシアに住む人々に福音を伝えるために初めて現在のヨーロッパ地域へ渡り、このときおそらく、後にルカの福音書、使徒書の作者となったルカと出会い、その後もテモテはパウロ一行の福音伝道の協力者としてパウロと密な関係を持って活動し、その後のパウロの紀元52年頃から紀元55年頃にかけての第三次伝道旅行からエルサレムへ戻り、伝統的なユダヤ人たちからの反感を買って無実の罪を着せられ、紆余曲折を経てパウロが身の潔白を証しするために時のローマ皇帝に上訴しローマで紀元59年頃から軟禁状態に置かれ、パウロがローマで囚われの身となっている間に至るまでパウロとテモテのイエス・キリストを主と仰ぐ信仰の堅い結びつきが続きました。

この関係はその後も続き、新約聖書の正典に記載されている使徒書には記録されていませんが、初代教会の教父たち(イレニウス、ジャスティン・マーター、ポリカープ、クレメント 達)の記録からも、おそらくパウロは皇帝に上訴した最初の裁判では紀元61年頃一旦解放され、この期間に新約聖書にはっきりとは記録されてはいませんが、第4次伝道旅行ともいうべき伝道の旅を続け、その後再び囚われの身となってローマ皇帝ネロによってユダヤ属州の反乱が起った紀元66年頃に死刑の判決を受けることになったと考えられます。

パウロは、この世での最期のときまでテモテのことを信仰の愛する子として信頼し、最期にローマで捕らわれの身となる紀元64年頃から紀元67年頃に殉教するまでの期間にこのテモテへの第一の手紙とテモテへの第二の手紙、さらにテトスへの手紙をおそらく、ルカに口述筆記して(テモテへの第二の手紙4章11参照)、送ったとされています。

前述のように、パウロはローマ皇帝に上訴しローマで紀元59年頃から軟禁状態に置かれましたが、この期間(紀元59年頃から紀元61年頃の間)、にも神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて尋ねて来たユダヤ人たちに語りつづけ、「獄中書簡」と呼ばれるエペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙、などの手紙を記し、このときは、皇帝に上訴した裁判は無罪を認められ、紀元61年の暮れ頃から紀元62年春頃に一旦解放されました。
              
その後パウロは、紀元64年頃に皇帝ネロによって再びローマに捕われの身となり、紀元66年から紀元67年頃に死罪の判決を受け殉教するまでの期間、少なくとも紀元62年春から紀元64年頃までの期間、裁判での無罪を認められ釈放された直後、ローマを離れ、一旦、東へ向かい、広まった各地の教会へ再び伝道の旅を続けたと思われます。 

このときパウロは、最初にテモテとテトスと共に当時の小アジア(現在のアナトリア半島、トルコの地域)を訪れ、エペソの地を訪問しました。

このエペソの地で、第三次伝道伝道旅行からエルサレムへ戻るときに長老たちを集めて「 どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。(使徒書20章28,29参照)」という警告を残し、パウロが懸念していたように、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする指導者と称する人々があらわれているのを見て、ヒメナオとアレキサンデルを集まりから破門し、そこへテモテを責任者として残し、その後マケドニアを経てギリシア南方の島クレテに渡り、そこにテトスを残し、パウロは各地にひろまった教会を訪ね、伝道の旅を続け、一説には現在のスペインにまで伝道の旅を続けたといわれています。

この間、パウロが滞在していたマケドニアにエペソに残ったテモテから教会の群れのなかから起こる反対や誤った教えに対して主の御心にかなった教会の群れの指導者のあり方について質問が送られたと思われ、この質問に答えてエペソに留まっていたテモテに宛てて信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得するために召される者への励ましを与えるために、おそらくルカによって口述筆記し手紙を託して、再びローマに捕らえられ投獄される直前、紀元63年暮れ頃に送ったのがこの手紙であると思われます。  

従って、この手紙の目的、手紙の主題は、真の福音信仰の戦い(contending the faith)であり、このテモテへの第一の手紙は、テモテへの第二の手紙、テトスへの手紙と共に、教会の群れを牧する指導者のあり方、信仰の戦いを戦い、永遠のいのちを人々が獲得するために働く指導者としてのテモテ、テトスに宛てられた手紙という観点から、パウロの牧会者への手紙(the Pastoral Epistles )とも呼ばれています。


概要


I. 挨拶 (1:1-2)


II. 偽教師に対する警告(1:3-20)

A. 神の教会に於ける教義(1:3-11)
1. テモテに対する奨励(1:3)
2. 律法の意義 (1:4-11)
B.パウロの証言(福音の務めに任じられた恵み) (1:12-17)
C. 信仰の戦いへの奨励 (1:18-20)

III. 神の教会に於ける信心の奥義 (2:1–6:10)

A. 唯一の神への感謝と祈り(2:1–3:16)
1. 信徒の務め (2:1-16)
2、神の教会を牧す人々への指示 (3:1-13)    
3. 神の教会における行いと賛美 (3:14-16)    
B. 教会が守るべき真理 (4:1-16)
1 偽善と背教(惑しと誘惑の霊)の警告 (4:1-5)
2テモテへの指導者としての個人的奨励 (4:6-16)
C. 神の教会に於ける異なる人々との関わり方 (5:1–6:10)
1. 男性、女性、年寄り、若者 (5:1-2)
2. 未亡人 (5:3-16)
3. 神の教会の老人たち (5:17-25)
4. 僕 (6:1-2)
5. 偽教師と貪欲への警告 (6:3-10)

IV. 個人的な指示 (6:11-21)

A. 信仰の戦いに勝ち抜く (6:11-16)
B. この世で富んでいる者への奨励 (6:17-19)
C. 信仰から逸れることのないように委ねられているものを守る (6:20-21)

鍵となる聖句

1Ti 1:8 わたしたちが知っているとおり、律法なるものは、法に従って用いるなら、良いものである。
1Ti 1:9 すなわち、律法は正しい人のために定められたのではなく、不法な者と法に服さない者、不信心な者と罪ある者、神聖を汚す者と俗悪な者、父を殺す者と母を殺す者、人を殺す者、
1Ti 1:10 不品行な者、男色をする者、誘かいする者、偽る者、偽り誓う者、そのほか健全な教にもとることがあれば、そのために定められていることを認むべきである。

1Ti 1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。

1Ti 2:5 神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。

1Ti 3:15 万一わたしが遅れる場合には、神の家でいかに生活すべきかを、あなたに知ってもらいたいからである。神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。
1Ti 3:16 確かに偉大なのは、この信心の奥義である、「キリストは肉において現れ、霊において義とせられ、御使たちに見られ、諸国民の間に伝えられ、世界の中で信じられ、栄光のうちに天に上げられた」。

1Ti 4:4 神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。
1Ti 4:5 それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである。

1Ti 5:24 ある人の罪は明白であって、すぐ裁判にかけられるが、ほかの人の罪は、あとになってわかって来る。
1Ti 5:25 それと同じく、良いわざもすぐ明らかになり、そうならない場合でも、隠れていることはあり得ない。

1Ti 6:7 わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。
1Ti 6:8 ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。
1Ti 6:9 富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。

1Ti 6:11 しかし、神の人よ。あなたはこれらの事を避けなさい。そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。
1Ti 6:12 信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは、そのために召され、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである。


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