Welcome to Calvary Chapel-Japanese Fellowship

calvary chapel-japanese fellowship素晴らしいニュース、メニュー

福音とは

福音とは良い知らせ、素晴らしいニュースという意味です。何が良い知らせなのでしょう。

園の墓にて-ヨセフは、イエスのからだの下げ渡しを願い、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。(マタイ福音書27章59-60)イエスのからだが納められたとされる墓の横にある碑にて、



''すべてを創造された神が、ご自分と同じ御子のいのちを投げ出すほど、わたしたち一人一人を、愛しておられ、誰でもがキリストにある永遠の命、神からの贈りものを受け取ることが出来る。
それは、聖書に預言されたとおり、神と等しい御子イエスが来られ、十字架に架かられ、人の罪の贖いを完成され、三日目に復活され、永遠のいのちを確実な希望としてわたしたちに与えて下さった歴史的事実によって、わたしたちが無償で受け取ることができる。
これが、素晴らしいニュース、福音です。''

神の愛

全ての創造者である神は、わたしたちを愛しておられ、わたしたちが満たされた人生を送り、愛と喜びと平安に満ちた生涯を送ることを望んでおられます。


神は、わたしたちが神の愛を体験し、神との交わりを持つことのできるように、わたしたちを創造されました。


しかし、神は人間を操り人形のように強制的に神を愛するように創造されたのではなく、自由意志を持って神を愛することも、神から背を向けることも選択をすることのできるように、わたしたちを創造されました。


神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 創世記1章27節



人の問題

神に信頼するか、神の意思よりも自分の意思を優先させ、神から離れて生きるかという選択を与えられた人間は、神に信頼し、神の意思に従って生きることより、神の意思から離れ、神に背を向けることを選びました。

基本的に、聖書が述べている罪とは、自分の意思を神の意思より優先させる、神から離れ神の意思に背を向けることを言います。

すべての人は生まれる時からこの罪の性質を持っています。わたしたちは、罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すのです。

聖書は、全ての人が罪を犯したために、神の栄光を受けられなくなったと宣言しています。

このような状態のままわたしたちの肉体が滅び、わたしたちの肉体から魂が離れる時、聖なる神は、わたしたちのすべての不義を裁かれます。

わたしたちは、不義の状態のままで死ぬとき、魂は神から離れ、永遠の滅びがもたらされます。

全ての人は皆、そのままの状態では霊的な死と、肉体の滅び、わたしたちの魂が神から引き離され、永遠の滅びに至る、という沈没の運命にある船に乗っている状態なのです。



「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており。」ロマ書 3章23節

「罪の報酬は、死です。」ロマ書 6章23節

「人には一度死ぬことと、死んだのち裁きを受けることが定まっている。」ヘブル書 9章27節



神が与えられた解決

わたしたち人間は、どのように自分で努力や決心をしても、神と人間との深い溝を埋めることはできません。


聖書は、イエス・キリストだけが、完全に神であり、同時に、完全な人であると宣言しています。
このイエス・キリストだけが、神と人との深い溝を埋めることの出来るお方です。

キリストを通して、神は、わたしたち人間を愛しておられることを証明しています。


キリストが、ご自分から十字架に架かられたのは、不義に対する神の怒りのなだめの供え物として血を流され、わたしたちが、自分の罪に対して当然負うべき支払い、裁きを、わたしたちの身代わりとして支払われ、わたしたちの罪を赦し、わたしたちが、神の御前で義とされるためでした。


キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれ、墓に葬られ、聖書に従って3日目によみがえられ、多くの人にあらわれました。

イエス・キリストが十字架に架かられたゴルゴダの丘


このような厳然とした歴史的事実によって、この方を信じる信仰によって、わたしたちは神の御前に義とされるという恵みを与えられています。
イエス・キリストを信じる信仰によって、わたしたちは、神の御前で義とされ、その結果、魂の平安と永遠の命が与えられます。


キリストにあって、神の御前で義とされ、永遠の命が与えられるのは、神からの贈りものです。わたしたちは、これを受け取り自分のものとすることができるのです。


誰でもがキリストにある永遠の命、神からの贈りものを受け取ることが出来る。これが、素晴らしいニュース、福音です。


神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
                        ヨハネ福音書3章16-17節


自分のものに

誰でもがキリストにある永遠の命、神からの贈りものを受け取ることが出来ますが、わたしたちは、自分の意思でそれを受けとらなければ、単に素晴らしいニュースを聞いただけであって、神からの贈り物を受け取り、自分のものとしたことにはなりません。


わたしたちは、自分の意思で、キリストが十字架をとおして神との溝を埋められたということを信じ、次のように信仰を表す必要があります。

  1. 自分には罪があることを神に告白し、
  2. 神がキリストによってわたしの過去、現在、未来の罪を許され、神の御前で義としてくださったことを信じ、
  3. キリストが人生の主であることを認める


    「まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」ロマ書5章8節


    「キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。」  1 ペテロの手紙 3章18節

新しい出発

神からの贈り物、素晴らしいニュースを自分のものとし、人生の主がキリストであり、キリストに信頼することに決めて、それに従うとき、確実にニュースは聞くだけでなく、あなたのものとなります。
そのために、次のように心から祈ることをお勧めします。


悔い改めの祈り

''神さま、
わたしが、聖なる神さまの前に罪人である
ことを告白します。
イエス様が十字架に架かられたことは、
わたしの罪を赦すためであったことを信じます。
どうか、あなたがわたしの主として、これからのわたしの人生を新しく導いてください。
わたしのうちに、あなたが聖霊として住んでくださり、
新しい命に、神さまの家族としてくださること、永遠の命を与えられたことを感謝します。
イエス様の御名によってお祈りします。   アーメン。''


「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ人への手紙2章8,9節


a:6052 t:2 y:1

powered by HAIK 7.0.5
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional