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新約聖書

ローマ人への手紙の学び


背景


新約聖書の記述は、三つのカテゴリーの記述に大別することができます。新約聖書の最初の部分はイエス・キリストの生涯が四つの福音書に記述されており、続いて復活のイエスを目の当たりにした弟子たちが、聖霊の力を受けてエルサレム、ユダヤ、サマリヤ、イスラエル全土から地の果てにまで福音を伝えていったことの記録が使徒の記録として記述されています。そして、新約聖書の最後のカテゴリーは、使徒たちによって教えられている手紙の記述となっています。                
ローマ人への手紙は、新約聖書に記述されている最後のカテゴリーであり、使徒によって教えられている最初の手紙です。          
イエス・キリストの肢体である教会は、聖書のみことばを霊的に解釈し、教義としています。そして、聖書のみことばを基盤として、洗礼、聖餐などが教会の大切な霊的な行いとされています。            
もしイエスが福音書のなかで教えられ、使徒書のなかでキリストを信じる人々が実際に行ったことが記録され、手紙のなかでそれらの行いについての霊的な説明が教えられている事柄は、御ことばに霊的に導かれ、裏付けられた伝統的なキリストの教会の霊的な行いであると認めることができます。
ローマ人への手紙が使徒パウロによって記述された(テルテオによって筆記され、16章22参照)ことは疑う余地がありません。
パウロはこの手紙を紀元53年から紀元56年の第三次伝道旅行からエルサレムへの帰還途上で立ち寄ったコリントから、ローマの信徒たちへ宛てて書き送ったとされています。(ロマ書15章26-28、参照)
パウロは、困窮していたエルサレムの教会の信徒たちへギリシアのマケドニア、アカイア地方の異邦人の教会で集めた献金を持って戻る直前にコリントの一地区ケンクレアイの教会の姉妹フィーベに手紙を託して、この手紙をローマに届けたとされています。(使徒書18章11、21,22、参照)
この手紙は、紀元一世紀の世界帝国ローマの中心都市に住むディアスポラと呼ばれる世界中に散在するユダヤ人および異邦人たちの信徒に宛てられています。
パウロは、この手紙でも述べているように(ロマ書15章24、28)エルサレムの教会を援助するために訪れた後でローマを訪れ、そこでの宣教活動の後にスペインにまで宣教活動の足を伸ばす意図を持っていました。

カトリック教会はローマにおける教会の発祥をイエスの弟子ペテロによるものとしてきました。しかし、あきらかにこの伝統とは異なり、パウロがこの手紙を宛てて書き記したときにはすでに信徒たちがローマに存在していたと考えられ、この手紙のなかにもペテロに関する言及はありません。

さらに、ローマの教会はパウロの伝道によって発祥したのでもありません。

復活のイエスが昇天された直後の五旬節にイエスが宣言された言葉のとおり聖霊が臨みましたが、このとき、天下のあらゆる国々からエルサレムに信仰深いユダヤ人たちが来て弟子たちと共に集まっていました。おそらく、このとき聖霊の降臨を受けて再びローマの地に散在し、ローマに存在した信徒たちがパウロが宛てたローマの信徒たちの核となる人々であったと考えられています。             
パウロがこの手紙を記した時点ではローマの教会は、ユダヤ人だけではなく、より多数の異邦人たちによって構成されていました。(ロマ書1章13、11章13、17章31、15章14-16参照)
何故パウロがこの手紙をローマの信徒たちに記したのか、という本当の理由は明らかではありません。
しかし、パウロはこの手紙によってより体系的で確固とした福音の教えを伝え、福音の世界宣教と信仰の基礎を提示するという意図があったことは明らかです。
エルサレムから現在のトルコ、ガラテヤ地区からエペソ、ギリシャのマケドニア地区、アケヤ地区を経て当時の世界帝国中心都市ローマを経て世界の地の果て、西の果てスペインにまで福音を伝える意図を持っていたパウロが、世界帝国の中心都市ローマを訪れる前に、福音の確固とした信仰の基盤をユダヤ人、及びローマに在住する異邦人に伝える必要に迫られたと考えられます。それは、それまで彼の福音宣教を試みるすべての地域で出会った頑固にユダヤ教の伝統に固執するユダヤ人たちの宣教活動に対する妨害にたいして福音を受け入れ、イエスをキリストと信じる人々に、より体系的な信仰の基礎を与えるものであったことは間違いありません。  
パウロは、神のイエス・キリストによる恵みの福音について、実際の福音宣教を宣べてゆくときに出会う人々から投げかけられる疑問に答え、より体系的な信仰の論拠を与えるためにこの手紙を記したと考えられます。
そしてもう一つ、パウロがこの手紙を記したと考えられる現実的な理由は、ローマにおけるユダヤ人の信徒と異邦人の信徒たちの間にあった伝統的な文化や習慣の差異によって起こる確執に対して、ユダヤ人の伝統、ギリシャ人の伝統や文化を超えて福音を信じる信仰、神の恵みを現実のものとして受け取ることによって一つになることが出来る、イエス・キリストを信じる信仰によって互いがキリストの肢体として一つになることが出来ることを伝える現実的な意図があったと思われます。


鍵となる聖句

1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。  

2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。

ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。
3:10 次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。
3:11 悟りのある人はいない、神を求める人はいない。
3:12 すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。

5:8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

6:4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
6:5 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。

8:14 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。
8:15 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
8:16 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。
8:17 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

11:22 神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。

11:33 ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。
11:34 「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。
11:35 また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。
11:36 万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。

12:1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
12:2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

15:5 どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互に同じ思いをいだかせ、
15:6 こうして、心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。
15:7 こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。


概要

I 序論: 福音に啓示される神の義 (1:1-17)  

A.挨拶 (1:1-7)  
B.感謝と祈り (1:8-13)
C.福音に啓示される神の義 (1:14-17) 

II. 真理を阻もうとする人の不信心と不義にたいする神の怒りと裁き(1:18—3:20)

A.創造の神を否定し、真理を虚偽とする人の不道徳にたいする神の怒り (1:18—32)
B.神の律法を知りながら不義な動機を是認する人の偽善にたいする神の裁き (2:1-3:8) 
C.神の義に達することができないすべての人の堕落(3:9-20)

III. イエス・キリストを信じる信仰による神の義(3:21–5:21)

A.示された神の義(3:21-31)
B.信仰によって義とされる(4:1-25)
C.神の恵み、神との和解(5:1-21)

IV. 新しいいのち、聖化、生きた栄光の希望(6:1–8:39)

A.聖化:罪からの解放 (6:1-23)
B.聖化:律法からの解放 (7:1-25)
C.いのちの御霊:生きた栄光の希望 (8:1-39)

V. 神の義、イスラエルの民に関わる神の義の正当性 (9:l—11:36)

A. 神の選び、イスラエルの民の過去 (9:l-29)
B. 神にたいする拒否、イスラエルの民の現在(9:30—10:21)
C. 神による回復、イスラエルの将来 (11:1-36)

VI . 神の義による信仰者の歩み (12:1—15:13)

A. 実際の信仰者の歩み (12:1-21)
1.神との関係 (12:1-2)
2. 各自に分け与えられた恵み (12:3)
3. キリストの肢体 (12:4-8)
B. 国家との関わり (13:1-14)
C. 自分を喜ばすためではなく、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられる信仰者の歩み (14:1—15:13)

Ⅶ. 結論、今後の目的と計画、イエス・キリストによって示された福音の奥義、永遠の神の栄光の賛美 (15:14—16:27)


 

新約聖書


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