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新約聖書


マルコの福音書の学び


背景

マルコの福音書は、ヨハネ・マルコによって記されています。マルコは、少年の頃からイエスの十二弟子の一人ペテロと行動を共にし、ペテロはマルコを「わたしの子」(第一ペテロの手紙5章13参照)と呼びました。
マルコは、イエスの弟子としてイエスと行動を共にしたペテロから、イエスの生前、キリストの十字架の贖い、キリストの復活と福音の伝道、についての詳細を聞き、ペテロの殉教にいたるまで、直接にペテロが体験し、自分自身も体験したイエスの公の生涯を、速いタッチで躍動的に記しています。
マルコの福音書には、「そして」、「そしてすぐ」、という接続詞が連続して使われ、イエスの教え、生涯が概念としてではなく行動として示されています。

マルコの福音書には、祭司長、律法学者、長老たちから差し向けられた神殿衛兵たちがイエスを捕らえるためにやって来たとき、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行き、人々が彼を捕えようとしたとき、亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた少年のことが記されています。
他の福音書には、この出来事の記述はありませんが、多くの学者たちは、この少年がマルコ自身の少年時代の体験の挿入であると推定しています。
マルコの母親マリアは、イエスの生前からイエスに従った婦人たちのなかでも富裕な婦人で、都エルサレムの中心に家を持ち、この家はキリストの福音を信じる初期のクリスチャンたちが集う場所となっていました。(使徒書12章12参照)
さらに、バルナバはマルコの叔父でした。(コロサイ書4章10参照)バルナバは、キリストの復活、昇天、約束の聖霊が降ったときに、所有していた畑を売った代金を持って初代教会の活動に加わり、人々が心を一つにし、初代の教会が形成されるときの中心的な人物として使徒たちによって慰めの子と呼ばれました。(使徒書4章35,36、)バルナバは、復活のキリストに出会いイエスが約束されたメシアであることを確信したパウロをエルサレムからタルソへ行って捜し出し、ともに伝道の旅に出ました。
このときも、マルコはこの伝道旅行に叔父とパウロに従って旅に出ています。
マルコは、この使徒パウロと叔父バルナバとの伝道旅行の途中パンフリアで一行から別れ、(使徒書12章25、13章5、15章37、38)エルサレムへ戻ってしまい、その直後、バビロニア地方への伝道旅行へ使徒ペテロに同行したと推定されています。(第一ペテロ5章13)さらに、叔父バルナバの出身地キプロスへの伝道旅行にも同行し(使徒書15章39)、それから暫くの時を経て、使徒パウロに依頼されテモテと共にローマへ向かい、(第二テモテ書4章11)その後ローマの地に暫らく滞在し、使徒ペテロとも再会し、この時期(紀元50-60年頃)に福音書を記録したと推測されています。
初代教会の頃の教父たち(ユスビアス、エピファネス、ジェローム)の記録に拠れば、ヨハネ・マルコはローマからエジプトのアレキサンドリアへ渡り、この地にも福音を広め、教会を建て、ローマ皇帝ネロの治世8年目、紀元64年ペテロの殉教と同時期頃に殉教したとされています。(Alfred Burnes’s Notes on Bible, Preface to Mark より引用)    
マルコの福音書は紀元62年以前、紀元50年から紀元60年の間に書かれたと推測されます。マルコは、神の御子が僕として仕えるためにこの世に来られ、天地のすべてを創造された神の人類に対するご計画に従順に従い、人として来られたという素晴らしい知らせを異邦人(直接的にはローマ帝国内に住む人)たちにも伝えるためにペテロから直接に聞いた生前のイエスとの体験をもとにイエスの公の生涯を記しています。
マルコの福音書は、神の御子が永遠のご計画に従順に従い、わたしたちを癒すために苦難の僕として仕えられ、人として来られたということがテーマとなっています。


鍵となる聖句

イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコ福音書2章17)

「 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」 (マルコ福音書10章45)


概要

I. 神の御子の僕としての宣教のはじまり(1章1-13)

A.    神の御子の福音(1章1-13)        

II. 悪霊を追い出し、汚れた霊を清め、不治の病を癒す権威、群衆の驚愕(1章14–8章30) 

A.    ガリラヤ湖畔での僕としての宣教(1章14-6章6)
1. 時が満ち、神の国は近くなった(1:14-15)
2. シモンとシモンの兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネの漁師たちが網を捨てイエスに従う(1:16-20)
3. 悪霊を清め、病を癒す権威(1:21-45)
4. 罪を赦す権威、宗教指導者たちとの対決(2:1–3:5)
5. パリサイ派、長老たちのイエスの否定(3:6)
6. イエスに付き従う群衆(3:7-12)
7. 十二弟子の任命(3:13-19)
8. ベルゼブル論争(3:20-30)
9. イエスの母、兄弟たち(3:31-35)
11.イエスの権威(自然、悪零、死と不治の病)(4:35–5:43)
12. 郷里、親族、家族、の人々 (6:1-6a)
B.    イエスの評判と人々の反応(6章7-29)
C.    コラジン、ベツサイダ、ツロ、デカポリス地方へ(6章30-8章21)
1. 5千人の群衆を食べさせる、神の戒めを捨て人の伝統に従うパリサイ派の人々(6:30–7:23)
2. ツロ、フェニキアの女の娘の癒し(7:24-30)
3. デカポリスに於ける奇跡 (7:31-37)
4. 4千人の群衆を食べさせる(8:1-9)
5. ダルマヌタへ(8:10-21)

III. 苦難の僕の使命、十字架と復活の予告(8章22-38)  

A.     ベツサイダでの盲人の癒し(8:22-26)
B.     ペテロの告白(8:27-30)
C.     死と三日後の復活の予告(8:31-38)

IV. 苦難の僕のエルサレムへの旅(9章1–10章52)

A.     ガリラヤ地方での最後の弟子訓練(9:1-50)
1. イエスの変貌とエリヤの先導(9:1-13)
2. 悪霊に取り憑かれた子供(9:14-30)
3. 二度目の死と復活の予告(9:31-32)
4. 一番偉い者(9:33-37)
5. 主の名を唱えて悪霊を追い出す(9:38-41)
6. つまずきを与えるもの(9:42-48)
7. 塩気を失くした塩(9:49-50)
B.     ユダヤ地方とヨルダンの向こうで(10:1-52)
1. 神の国の教え(10:1-31)
a. 離婚について(10:1-12)
b. 子供のように(10:13-16)
c. 金持ちとなること(10:17-31)
2. エルサレムへの旅(10:32-52)
a.三度目の死と復活の予告(10:32-34)
b.真実の権威、治めるもの(10:35-52)

V. 苦難の僕のエルサレムでの宣教(11章1–13章37)

A.     エルサレムの都への入城(11:1-11)
1. 乗られたことのない子ロバ(11:1-6)
2. 公にメシアとしてご自身を示される(11:7-10)
3. 宮に入られ、すべてを見て廻られる(11:11)
B.     イスラエルの民族に対する裁き(11:12-26)
1. 宮に入られる(11:12-19)
2. 実のならないいちじくの木(11:20-26)
C.     宗教指導者たちとの対決(11:27–12:44)
1. イエスの権威にたいする挑戦(11:27-33)
2. ぶどう園の主人と農夫の譬え(12:1-12)
3. ローマ皇帝への税(12:13-17)
4. 復活のときの婚姻関係(12:18-27)
5. 最も大切な戒め (12:28-34)
6. キリストは誰の子か(12:35-37a)
7. 祭司たちの偽善(12:37b-44)
D.     イスラエルに対する裁きの預言(オリブ山の論争)(13:1-37)

VI. 苦難の僕の十字架の贖い、死と復活(14章1–16章20)

A.     十字架の死への準備、最後の晩餐(14:1-52)
B.     裁判とイエスの十字架(14:53–15:47)
C.     イエスの復活と福音の宣教命(16:1-20)


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