Welcome to Calvary Chapel-Japanese Fellowship

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新約聖書

ピリピ人への手紙の学び


背景


ピリピ人への手紙は、ローマ市民でもあったパウロが、福音の弁明のため皇帝への上訴を申し出、政治犯として裁判を受けるために護衛をつけられカイザリアからローマに送られ、ローマで囚われの身となっている期間、紀元59年から紀元61年のあいだに執筆されたと考えられています。

この手紙は、エペソ人への手紙と同様、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙とともにパウロの「獄中書簡」と呼ばれ、ローマ皇帝に無罪の上訴をするため囚われていた時期に執筆されたとされていますが、このピリピ人への手紙は手紙の内容からも上訴の結果を待つ最終局面に書かれたものであったことが伺われ、(2章23,24参照)他のエペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙に比べて囚われの期間のより後期、すなわち紀元61年頃の執筆と考えられています。
パウロは、第二次伝道旅行のときにシラスと共に小アジア(現在のトルコ地方)を旅し、第一次伝道旅行で福音を伝えたルステラという町で出会ったテモテを弟子として町々に伝道の旅を続け、小アジアに於いて諸教会の信仰を強めようと活動を続けようとしたところ、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられフルギヤ・ガラテヤ地方をとおってムシヤを通過し、トロアスに下って行き、そこで、ひとりのマケドニヤ人が立って、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と、パウロに懇願する幻を見ました。
この幻がマケドニア、アケア、ギリシアに住む人々に福音を伝えるために、神が彼らをお招きになったのだと確信した一行は、ただちにマケドニヤに渡って行き、ここから現在のギリシャ地域への福音の伝道が始まりました。このとき、一行は明らかに福音書と使徒書を記したルカに出会ったと思われます。その後、ルカも加わりパウロと共に福音伝道に加わり、ピリピの地でキリストの福音を宣べ伝えました。
ピリピは、世界制覇を成し遂げたアレクサンダー大王(在位紀元前336年―紀元前323年)の父親、マケドニアのフィリップ王によって紀元前356年頃建てられた都市であり、丁度小アジアからヨーロッパへの玄関口であったネアポリスから10マイルほどの内陸に位置する都市として栄え、この地はローマ帝国の覇権を争ったマーク・アントニーと後に初代ローマ帝国皇帝となるユリウス・オクタビアヌスの連合軍とマルクス・ユニウス・ブルータスとカッシウスの連合軍が戦った戦場となった土地でした。この紀元前42年のピリピの戦いで勝者となったユリウス・オクタビアヌスによってこの地は再建が進められ、イタリアから多くのローマ退役兵が入植し、彼らはしばしば土地、住宅財産が与えられ、さらに、この地の人々にはローマ市民権が与えられ、帝国への租税義務が免除されました。
パウロが紀元50年頃小アジア(現在のトルコ)のトロアスからヨーロッパの玄関口にあたるネアポリスに上陸し、そこから10マイルほど内陸のピリピに到着した頃のピリピは ローマ帝国の重要な植民都市として、公用語としてはラテン語が使われ、一般にはより広くギリシア語が使われていました。
ピリピの地ではじめられたこの伝道の様子は、使徒書16章に記録されています。
このピリピの地では、最初にテアテラ市の紫布の商人でルデヤという婦人がパウロの語る福音のメッセージに耳を傾け 心を開き、この婦人も家族もバプテスマを受け、一行を自分の家に招き、この地での福音伝道の活動が始まりました。
パウロとシラスは占いの霊によって利益を得ていた主人の女奴隷から この霊を追い出し、そのために自分たちの利益を得る望みを失った彼女の主人たちによっって役人に訴えられ、ローマ市民権を持っていたにも拘らず確定していない暴動の罪によって、むちで打たれた上 投獄されてしまいました。  むちで打たれ、足かせをかけられ、獄吏に見張られて投獄されたパウロとシラスは真夜中にも獄のなかで神に祈り、賛美を歌いつづけ 囚人たちが聞き入っていると突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまい、この事件を機に獄吏とその家族が救われ、警吏たちによってパウロがローマ市民であることを知った長官は、自らパウロとシラスのところへやってきて詫びた上、獄から彼らを出し、町から立ち去るよう頼みました。
ピリピの地で伝えられた福音をより根付かせるために、多分ルカとテモテを助手として残し、一行は、テサロニケからベレヤへと伝道の旅を続け、パウロはアテネを通り、コリントの地で紀元50年から紀元52年頃まで一年半この地に滞在し、シラスとテモテがアケドニアから合流し、パウロは神の言葉を教え続け イエスがキリストであることを力強くユダヤ人たちに証ししました。(第一コリント人への手紙背景と概要参照)
その後、一行は エペソを通ってシリアを経由し、カイザリアの港から上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてから、アンテオケに下って行き、第二次伝道旅行から帰還しました。(使徒書17章1-18章22)
パウロは紀元52年頃 再び第三次伝道旅行に出かけガラテヤおよびフルギヤの地方を歴訪して、すべての弟子たちを力づけ、(使徒書18章23)エペソの地を拠点とし、エペソの地に足かけ3年程滞在しましたが、(使徒書20章31参照)その間にもギリシアのアケヤ地区、コリントの人々とも再三接触を持ったと思われます。
このときのパウロの伝道旅行は、福音の伝道と弟子たちを力づけることだけではなく、金銭的に窮乏に陥ったエルサレムのキリストを信じる兄弟たちを援助するために献金を集めることも その意図でした。これは、イエス・キリストの十字架と復活を信じるだけではなく割礼を受けなければ異邦人が救われることはないと主張する所謂ユダヤ主義(ジュディアイザー)のユダヤ人に対して 金銭的な困窮状態に陥ったエルサレム教会を実質的に援助することで、キリスト・イエスにあっては 割礼があってもなくても、問題ではなく、尊いのは愛によって働く信仰だけである(ガラテヤ書5章6参照)ことを実際の行動によって示し、異邦人の教会にも福音の真理がとどまっていることを示すというパウロの目的があったことは明らかです。(ローマ人への手紙15章25,26、第一コリント人への手紙16章1-4、第二コリント人への手紙9章1,2 ガラテヤ書2章5 参照)
パウロは、このエペソにおける足かけ三年の第三次伝道旅行でエルサレムの教会のための献金活動の 帰路で 紀元55年の春頃マケドニアを訪れ、この折ピリピの教会の人々は貧しさにも拘わらず自ら進み出て彼らの力以上にエルサレムの聖徒たちへの奉仕に加わりました。(第二コリント人への手紙8章1-5参照)
第三次伝道旅行を終えてパウロはエルサレムに帰還しましたがパウロの伝える福音に反対するアジアからつけてきたユダヤ主義の人々の扇動によって、市民全体が騒ぎ出し、エルサレム全体が混乱状態に陥り、この混乱を鎮めるために駆け付けたローマの守備隊、千卒長によって捕らえられてしまいました。この後、パウロはユダヤ人たちの暗殺計画を避けてローマ兵に護衛をつけられカイザリヤへ送られ、潔白を証明するため何度か福音の弁明をしましたがローマ総督ペリクスがフェストと交代するまで約二年間カイザリヤに監禁されました。
このような紆余曲折を経てパウロはローマ市民としての特権を行使し、ローマ皇帝に上訴し、裁判を受けるために護衛をつけられ紀元58年頃カイザリヤからローマに送られることになりました。

紀元59年頃ローマに着いた後、パウロは、番兵をつけられ軟禁状態に置かれましたが、パウロがローマで囚われの身となっているというニュースはピリピの教会の人々にも伝わり、彼らは、自らの苦境にも拘わらず、エパフロデトをパウロのもとに送り、金銭的な援助の手を差し伸べました。
        
このとき、ピリピの教会の人々は 金銭的な援助の手を差し伸べるだけでなく彼らの信仰に敵対する人々や、彼ら自身が苦境に置かれているという状況をエパフロデトによって伝え、パウロのもとに到着した後ひん死の病気にかかったエパフロデトをパウロの手元に置き、かわりにテモテを送って欲しい旨を伝えました。しかし、状況がより確定的になるまでテモテを助手として手元に置いておきたかったパウロは、試練にあるピリピの人々を励まし、信仰にあってキリストの慰め、励まし、喜び、を見出すことができることを手紙に託して病気から回復したエパフロデトを再びピリピへ送り返しました。

このとき、エパフロデトに託してピリピの人々に書かれたのが正典に記されているこの手紙だとされています。

この手紙が上記のような状況で記されたものだとすれば、ピリピ人への手紙が苦境のなかにあってもパウロに援助の手を差し伸べた献身的なピリピの人々にたいする感謝と、同時に(1)福音をもたらされた神への感謝、(2)キリストが神のかたちであられたにも拘わらずおのれをむなしくされ、わたしたちが救われるために十字架の死にいたるまで仕えてくださったように、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者とすること(3)曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となる救いを得ていることの喜び(4)事ごとに、感謝をもって、求めるところを神に祈と願いとをささげるとき、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が心と思いとを、キリスト・イエスにあって守られることなどを述べ、ピリピの人々を励まし、信仰に堅く立ってイエス・キリストの福音に歩むための神の戦略と確実な勝利と喜び、(Divine strategy of spread and advance the Gospel)神の国の栄光の民となる目標とそれを達成する喜び、を述べることがこの手紙の目的であり主題となっています。 

  


概要


I. 挨拶 (1:-12)


II. 前置き (1:1-11)

1) 挨拶 (1:-12)
2)共に福音にあづかることへの感謝 (1:3-8)
3)ピリピの信仰者への祈り(1:9-11)

III. パウロの現況 (1:12-26)

1)囚われの身にあって福音の弁明に立てられる喜び( 1:12-18)
2) 生きることはキリスト、死ぬことは益 (1:19-26)

IV. 福音に敵対する者に対して共に戦う (1:27—4:9)

1)福音にふさわしい歩み( 1:27-30)
2) キリスト・イエスにあって、同じ思いによって共に歩む (2:1—4:1 )

  • 一つ思いになって、人を自分よりすぐれた者とする
  • 信仰に基く神からの義を受ける喜び (3:1- 4:1)
  • 肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者(3:1-6)
  • キリストとその復活の力(3:7-11)
  • キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を目ざす
    (3:12-16)
  • わたしたちの国籍は天にある(3:17–4:1)

V. 励ましと感謝 (4:2-20)

1)主にあっていつも喜びなさい(4:2-9)
2)どんな境遇にあっても、足る (4:10-14)
3)栄光の富の中から、いっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さる神( 4:15-20 )

VⅠ. 祝福の挨拶、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように  (4:21-23 )

 

鍵となる聖句

ピリピ書 1:5 あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している。
ピリピ書1:6 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日ま でにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。

ピリピ書 2:6 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、
ピリピ書 2:7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、
ピリピ書 2:8 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
ピリピ書 2:9 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。
ピリピ書 2:10 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、
ピリピ書 2:11 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。

ピリピ書 3:13 兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、
ピリピ書 3:14 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。

ピリピ書 4:4 あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。
ピリピ書 4:5 あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。
ピリピ書 4:6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
ピリピ書 4:7 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

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