Welcome to Calvary Chapel-Japanese Fellowship

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新約聖書

コロサイ人への手紙の学び

背景

コロサイ人への手紙は、使徒パウロによって書かれた他の「獄中書簡」と呼ばれるエペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、ピレモンへの手紙と同様、ローマ市民でもあったパウロが、福音の弁明のため皇帝への上訴を申し出、政治犯として裁判を受けるために護衛をつけられカイザリアからローマに送られ、ローマで囚われの身となっている期間、最初に囚われの身となっていた期間の初期から中頃にかけて、すなわち紀元60年から61年頃の執筆と考えられています。

使徒パウロは、このとき裁判を受けるために護衛をつけられローマに送られ、ひとりで住むことを許され、かなりの自由を与えられローマに住むユダヤ人が招かれ、イスラエルのいだいている救いの希望のゆえに囚われの身となっていることの説明をし、大勢の人々に神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、主イエス・キリストのことを教えることができましたが(使徒書28章30、31 参照)、これは紀元59年から紀元61年のあいだの頃と考えられています。

この手紙は、手紙のなかで触れられているように、コロサイの信徒に向けて書かれていますが、コロサイの人々だけでなく、ラオデキア、さらにはヒエラポリスの人々へも回覧され、人々へ朗読されイエス・キリストの福音を信じるこの地域のより広範囲の人々のために書かれています。

パウロがこの手紙を書いた目的は、エパフロデトスから、この地方でギリシア哲学的思想に影響を受けてイエス・キリストの神性を否定し、人が内面的に神を探求することによって神を知ることができる、と主張する所謂グノーシス的な思想や東方由来の神秘思想、禁欲主義をキリスト教にとり込もうとする異端的な教えや、伝統的なユダヤ教に固執し、キリストの十字架の贖いと復活によって完成された救いと完全な神の恵みの福音を無為なものとする教えが、人々のキリストへの信仰に入り込んできているということを聞き、これらの異端的な教えに対する警告と、異端的な教えに対する反論として、創造の神はキリストによってご自身を完全に啓示されている、ということを明らかにするために書かれています。

この手紙の主題は、すべての思想や人の哲学、宗教的な伝統に優って完全にキリストが人の救いに必要なすべてであり、イエス・キリストのみが礼拝の対象である創造の父なる神と同じ方であることを説いており、キリストがすべてに優って第一であり、主であるということを明らかにすることが、この手紙の主題となっています(1章15-18、2章9,10参照)。 

コロサイという地域は、当時ローマ帝国の小アジア地域(現在のトルコ)に於ける最大の拠点となっていた都市エペソから約100マイル程東に位置するライカス(リュコス)渓谷に点在するラオデキア、ヒエラポリス、コロサイという小都市を結ぶ都市のひとつで、エペソからラオデキア、コロサイは貿易のための主要道路で結ばれ、ヒエラポリスは紀元前190年にペルガモン王国の都市として建設され、ローマ帝国に征服されてからは温泉保養地として栄えた都市でした。
パウロがこの手紙を書いた頃のコロサイの住民は、ヘレニズム王国、アッタロス王朝の流れを汲むギリシア系の地元フリギア人の人々とヘレニズム文明に影響を受けた散在するユダヤ系住民で占められていました。
コロサイの教会は、手紙に述べられているように、パウロは直接にはコロサイの地を訪れておらず(1章4、2章1参照)、使徒パウロの第三次伝道旅行の際、パウロがエぺソを拠点とし、ほとんどアジヤ全体にわたってて主のことばを広め、パウロと共に福音伝道の労をとった、このコロサイ地区出身のエパフロデトによって建てられ(1章7、4章12,13参照)、それ以来、福音を受け入れ、イエスをキリストと信じる人々の集まりであったと考えられています。
この教会には、直接、使徒パウロからイエス・キリストの福音を聞き、福音を受け入れ救いにあずかった人々が参加し、ピレモンとその家族もコロサイの教会の有力な信徒であったということが伺われます。
使徒パウロはこの手紙を、福音伝道の同労者テキコとピレモンの元奴隷であったオネシモによって(4章9 参照)エパフロデトスの不在中にコロサイの教会をあずかり、福音伝道の同労者であるアルキポに宛てて(4章17)送ったと考えられます。


概要


  • Ⅰ. 前置き (1:1-11)
  • A. 挨拶と感謝 (1:1-8)
        
  • II. 御子は人の救いに必要な全てSufficiency of Christ (1:9–29)                  
  • A. 祈りととりなし (1:9–14)
  • B。 御子は見えない神のかたちであり、万物に先立ち、万物は彼によって成り立っている (1:15-20)
  • C. 御子の完成された贖いによって福音の望みに堅く立つ (1:21-23) 
  • D. 福音の恵みを受けるキリストの身体なる教会へ仕える (1:24–29)
  • III. キリストにあって、神の徳のすべてが満たされ、彼がすべての支配と権威のかしらである。(2:1-3:4)
         
    • A.福音を受けた人々が愛によって結び合わされ、神の奥義なるキリストを知るに至るためのパウロの苦闘 (2:1-8)
    • B. キリストにあって神の徳のすべてが、かたちをとって宿っている (2:9-15)
    • C. かしらなるキリストに着いて神に育てられ成長する (2:16-19)
    • D. 人の教えや規定に縛られ、地上のものに心を惹かれずにキリストと共に神に隠されたいのちを思うべき (2:20–3:4)
  • IV. キリストを主として人生を歩む人々の歩み (3:5–4:6)
          
    • A.キリストのいのちにあって人生の歩みを最大限に生きる。(個人の生き方) (3:5-17)
      • 1. 古い肉の生き方を捨て去る (3:5-11)
      • 2. キリストにある新しい歩み(3:12-17)
    • B. キリストのいのちにあって人生の歩みを最大限に生きる。(家族の関係) (3:18–4:1)
      • 1. 妻と夫 (3:18-19)
      • 2. 子供と親 (3:20-21)
      • 3. 僕と主人 (3:22–4:1)
    • C. キリストにあって人生を歩む:(他人との関係) (4:2-6)
      • 1. 福音伝道者(パウロ)との関係l (4:2-4)
      • 2. キリストの証し人として(救いにあづかっていない人々との関係) (4:5-6)
         
  • V. 最後の挨拶 (4:7-18) 
  • A. 福音伝道の同労者テキコの推薦 (4:7-9)
  • B. 神の国のためにパウロと同労者の人々からの挨拶 (4:10-14)
  • C. パウロの挨拶 (4:15-18)


鍵となる聖句

Col 1:15 御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。
Col 1:16 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
Col 1:17 彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。
Col 1:18 そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。
Col 2:3 キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている。
Col 2:9 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、  

Col 2:14 神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。
Col 2:15 そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。

Col 3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。
Col 3:4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

Col 4:2 目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。


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