神の訪れの日

(ダニエル書9章24-27)


紀元前538年にベルシャザルが酒宴を開いていたときにミード軍を率いるクロスは堅固なバビロニアの城壁の濠の水門を堰き止め、濠をつたって都に侵入しバビロニア帝国を滅ぼし、ミード・ペルシア帝国の世となりました。
ミード・ペルシア帝国最初の王は、ミード族アハシエロスの子ダリヨスでした。(9章1参照)

このダリヨス王の治世一年目にダニエルは預言者エレミヤが述べた主のことばによって、エルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であることを悟りました。そして断食し、荒布を着、灰をかぶって、自分の罪と自分の民イスラエルの罪を告白し、エルサレムのために祈り、神に民の解放を願い求めました。

ダニエルが祈りを捧げているとき、幻のなかに大天使ガブリエルが現れ、エルサレムの都と神殿と城壁、未来のメシアに関わる預言が告げられました。

この箇所に述べられている預言は、イエスキリストに関する歴史的な預言の正確さ、その内容の膨大さ、人類にとっての重要さという点から聖書学者や歴史家だけでなく、わたしたちにも最も注目すべき預言といって過言ではありません。

ガブリエルがダニエルに告げたのは、「ダニエルよ。私は今、あなたに悟りを授けるために出て来た。あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。
あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。
それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。
その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。
彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」(ダニエル書9章22-27)というものでした。
大天使ガブリエルによって告げられた預言の二年後、紀元前536年にイスラエルの民はミード・ペルシア帝国のクロス王によってエルサレムへの帰還を許されました。これは、エレミア、エゼキエルによって預言されたとおり、バビロニア捕囚から数えてちょうど七十年目にあたりました。

伝説では、バビロニアに捕囚となったイスラエルの民が最初にエルサレムへ帰還することを、ペルシア帝国の王クロスによって許されることになったのは、クロスが王位に就いたとき、自分の生まれる170年以上も前にイザヤがイスラエルを開放する者として名を挙げているのを知ったことがきっかけであったとされています。(イザヤ書45書1-4参照)
このとき紀元前536年から、エルサレムに帰還したゼルバベル、ヨシアをはじめ約5万人のユダヤ人によって神殿再建の基礎が始められました。 

神殿の再建が始められた後もイスラエルの民は数々の妨害に会い、神殿の完成と城壁の修復は遅々として進みませんでした。
その後紀元前458年、アルタシャスタ王の第七年エズラを中心としたユダヤ人の帰還と改革がありました。
しかし、本格的な神殿の再建と城壁の修復は、ペルシア帝国アルタクセルクセス(アルタシャスタ)王の献酌官であったネヘミアが、王に帰還とエルサレムの城壁の修復を願い出、ペルシア帝国の属州であったエルサレム 地方の知事としての任命を受けた紀元前445年のエルサレムへの三次帰還のときに行われました。
そしてこのときに、すでにゼルバベルに率いられて帰還していたユダヤ人たちが帰還後八十年近くなし得なかった城壁の修復を完成してゆきます。


この預言は、あなたの民とあなたの聖なる都について、ある決められた時から定められている七十週の期間が過ぎたあとで、救い主、メシアによってそむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油がそそがれ完全な世が到来する、という預言となっています。

ここで、「あなたの民とあなたの聖なる都」とは、イスラエルの民とエルサレムの都のことをさしており、この七十週の期間は、七週と六十二週、合計六十九週と残りの一週に分けられています。

イスラエルの民とエルサレムの都について、七十週の期間が定められ、それは、「とがを終わらせ、罪に終わりを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐ」ためだ、と述べられています。
この預言で、週と訳されているヘブル語のシャブアשׁבעהという言葉は七の周期をあらわす言葉として使われ、七年の期間を示しています。
さらにこの預言を解釈する上で、旧約聖書が書かれた太陰暦に従って、一年は三百六十日であることを前提として解釈し、七十週という期間が、全部で490年間の期間(70x7年の周期=490)年、日数にして合計176、400日(490年x360日=176,400日)の期間について述べられていることを理解することが大切です。


最初の箇所は、エルサレムを建て直せという命令が出された時から七週と六十二週の合計の期間六十九週を経て困難のなかでエルサレムの神殿と城壁が修復され、その時代に油そそがれた君、メシアが来るということが預言されています。

この預言のエルサレムを建て直せという命令が出された時が何時を指す預言であったのかについては、ネヘミアがペルシア帝国の王アルタクセルクセス(アルタシャスタ)から勅令を受けたアルタシャスタ王の治世二十年ニサンの月が、その時であるとされています。

ネヘミア書にはアルタシャスタ王の献酌官であったネヘミアが、神殿の城壁の修復を願い出て、それを許され、王の勅令によってエルサレム城壁の修復の勅令が出されたときの様子が述べられています。

アルタシャスタ王の第二十年のニサンの月に、王の前に酒が出たとき、私は酒を取り上げ、それを王に差し上げた。これまで、私は王の前でしおれたことはなかった。
そのとき、王は私に言った。「あなたは病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」私はひどく恐れて、
王に言った。「王よ。いつまでも生きられますように。私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして悲しい顔をしないでおられましょうか。」
すると、王は私に言った。「では、あなたは何を願うのか。」そこで私は、天の神に祈ってから、
王に答えた。「王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」
王は私に言った。・・王妃もそばにすわっていた。・・「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。」私が王にその期間を申し出ると、王は快く私を送り出してくれた。(ネヘミア書2章1-8)

この、アルタシャスタ王の二十年ニサンの月が、太陽暦で正確にいつなのかについて、十九世紀の末に、イギリスのスコットランド・ヤードの長官を務めたこともあるサー・ロバート・アンダーソンは、イギリス天文台の協力を得てイギリスのグリニッチ天文台の調べによって、正確な日付を測定しました。これによれば、ネヘミアに勅令が出された日付けは、紀元前445年3月14日に該当すると述べています。

したがって、この箇所の預言は、ネヘミアがペルシア帝国の王アルタクセルクセス(アルタシャスタ)から勅令を受けたアルタシャスタ王の治世二十年のニサンの月、紀元前445年3月14日から数えて、六十九週、すなわち483年目(69x7年の周期=483年目)または、173、880日目(483x360日=173,880)に該当する紀元後32年4月6日に再建、修復されたエルサレムの城壁を通って、メシアが神殿に入城されるという意味になります。


イエス・キリストがろばに乗ってエルサレムに入城し、群衆からホサナ、ホサナという歓呼で迎えられた日は、ご自身をはじめてメシア、救いの君であることを公にされた特別な日でした。

福音書をみるとき、イエスが公生涯を始められ、最初にカナの婚礼の席で奇跡を行われたときにも、マリヤにご自分のときが未だ来ていないことを宣言され、数々の奇跡の後も、ご自分がメシアであることを民衆に公けにはされませんでした。

イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」(ヨハネ福音書二章4)

イエスが「人の子が栄光を受けるその時が来ました。」(ヨヘネ福音書12章23)と言われてご自分をメシアとして民衆の前で公にされたのは、過越の祭りの五日前、わたしたちが棕櫚の日曜日と呼んでいる十字架に架かられる直前のことでした。

この日イエスは民衆が棕櫚の葉を振りながらホサナ、ホサナと歓呼するなかを子ろばに乗ってオリブ山を下り、ご自分がメシアであることを民衆に公けにされ、ネヘミア、ゼルバベルによって再建されヘロデ王が拡張したエルサレムの神殿に入られました。
これは、預言されたとおり町と城壁を建て直せという勅令が出された紀元前445年3月14日から数えて六十九週目、ちょうど173、880日目、西暦紀元後32年4月6日に該当する日でした。  

この特別な日のことについて、ルカの福音書は次のように述べています。

オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づかれたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、言われた。「向こうの村に行きなさい。そこにはいると、まだだれも乗ったことのない、ろばの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて連れて来なさい。
もし、『なぜ、ほどくのか。』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」使いに出されたふたりが行って見ると、イエスが話されたとおりであった。
彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか。」と彼らに言った。弟子たちは、「主がお入用なのです。」と言った。
そしてふたりは、それをイエスのもとに連れて来た。そして、そのろばの子の上に自分たちの上着を敷いて、イエスをお乗せした。
イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。
イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し始め、
こう言った。「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」
するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、「先生。お弟子たちをしかってください。」と言った。
イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」
エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、
言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。
やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、
そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」 (ルカ福音書19章29-44)

ゼカリヤも、「 シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」(ゼカリヤ書9章9)と、イエスがキリストであることを公けにされて、エルサレムへ入城されることを預言しています。     


御使いガブリエルをとうしてダニエルに示された預言は、これだけにとどまらず、「この7週と62週の後にメシアは、自分のためではなく断たれ、きたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。」と続いています。
油そそがれたメシアは69週目の直後に、自分自身のためには何も受けることなく「断たれ」る、という預言もイエスがエルサレムの神殿に入城された直後、ご自分のためには何も受けることなく十字架に架かられたという歴史的事実によって成就したことがわかります。
そして、そのメシアには、何も残らず、やがて来るべき君主の民によって、エルサレムの町と神殿が破壊され、その終わりには洪水が起こる、ということについても、エルサレムの町と神殿が、古代世界を制覇したローマ帝国皇帝ネロの将軍タイタスの軍団によって紀元70年に滅ぼされ、、イスラエルの民が洪水に押し出されるように世界中に散らされ、神殿とエルサレムの城壁が荒廃し、その状態が続いたという歴史的な事実によって預言が成就していることがわかります。

七十週の預言のうちの最初の六十九週までの預言が歴史的に成就した直後に、メシアは十字架の上で「断たれ」、エルサレムの神殿は紀元70年ローマ軍団によって崩壊されてしまいました。 

ダニエルの神殿とエルサレムの都に関しての預言は、エルサレムの都が廃墟となり、神殿が焼失し、イスラエルの民が世界中に離散してしまったために、歴史からイスラエルの民とエルサレムの都に関する70週の期間の残りの一週、7年の周期を残して言及される対象が長い期間途切れてしまいました。
                  
エルサレムの都と神殿は、御使いによってダニエルに告げられたとうり滅び、イスラエルの民、ユダヤ人たちが洪水に押し出されるように世界中に離散し、荒廃した状態が続き、この町と城壁をめぐって現代にいたるまで紛争は続き、戦争の絶えない状態が続いています。
しかし、エゼキエルによって預言された箇所(神の霊がイスラエルに注がれるときメッセージ参照、栄光の回復メッセージ参照 )で見たように、1948年にイスラエルが独立国家として認められ、約2千年の時を経て再び神の約束されたイスラエルの地にユダヤ人が集められ、1967年にエルサレムの町がイスラエルに奪回されたことによって、ダニエルの70週の預言の「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」という残る最後の一週、すなわち7年間の期間の預言がいつ現実のものとなっても不思議ではない世界情勢となっています。
そしてこれから70週の預言が完成し、実際に成就してゆくお膳立てが整ったということが出来ます。 

この、最後の一週の7年間に出現する、「君」נָגִדは、多くの者と契約を結び、神殿を再建し城壁を修復し、7年の半ばまで神殿に犠牲のささげ物を捧げます。そして彼は3年半の時点でこれらの儀式を止めさせ、自分が神殿において神であることを宣言し、神殿を荒らす忌むべきものとなります。 

その後、この「君」נָגִדと、彼に支配され従うすべてのものに絶滅がふりかかり、定められた70週の後、「そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義がもたらされ、至聖所に油が注がれる」メシアが来られ、永遠の義がもたらされる、というのが大天使ガブリエルがダニエルに示した神殿とエルサレムの都に関するメシアの預言の全容でした。 


メシアであるイエスは、この「君」נָגִדが神殿を荒らす忌むべきものとして立った後で、彼に支配され、神に背くものを滅ぼされ、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらされるために、栄光の主として天の雲に乗り、この世に再び来られ御国を治められます。

イエスは、最初にご自身をメシアとして公にされたときも、エルサレムの都のために泣いて「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(上記、ルカ福音書 参照)と、言われました。

「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」(黙示録11章15)という宣言は、文字通り成就し、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」(イザヤ書9章6)であるメシアが御国を治められるときは必ず成就します。

神は、御ことばの預言をとおしてわたしたちに、これから起こるすべてのことをわたしたちの目から隠すことなく示していてくださいます。

神の示されている神の訪れの現実、キリストの十字架によって神がわたしたちの罪を赦し、キリストをとおして永遠のいのちを得させてくださったということに目を開き、主の真理を自分自身の人生の現実として受け止めるのは、今という時しかありません。



 
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