Welcome to Calvary Chapel-Japanese Fellowship

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新約聖書

第二コリント人への手紙の学び


背景

第二コリント人への手紙も第一コリント人への手紙と同様、使徒パウロによって記述されたことは疑う余地がありません。

第二コリント人への手紙は、コリントの信徒たちに紀元55年の秋頃マケドニアからコリントの信徒たちに宛てて送られたと考えられています。     

パウロは紀元52年から紀元55年頃にかけてエルサレムから第三次伝道旅行に出かけ、エペソの地に足かけ3年程滞在しましたが(使徒書20章31参照)その間にもコリントの人々との接触を再三持ち、この間に少なくとも四通の手紙を送ったと思われます。
          
このうちの二通が第一コリント人への手紙と第二コリント人への手紙として新約聖書に正典として記されています。

パウロは第三次伝道旅行に於いて、再三コリントの地を訪問し、手紙を書いています。
最初は、多分紀元52年の夏頃、エペソの地に着いた直後、コリントの信徒たちの未熟な信仰のゆえに起こっている様々な問題に対処するためにコリントへ立ち寄り、特に信徒のなかに異邦人の間にもないほどの不品行な者がおり、それらの不品行を許容することが寛容なことだとする信徒たちにコリントの教会が新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除くことを勧め、不品行を戒める手紙を送りました。(一通目の手紙、第一コリント人への手紙5章9節参照a letter which is now lost)この手紙は新約聖書の正典には記されていませんが、パウロの意図したようには彼らに伝わらず、このようなコリントの信徒たちの状況に加えて、コリントの信者たちから使徒パウロに福音についての基本的な教義についての質問がステパナとポルトナトとアカイコとによってもたらされ(第一コリント人への手紙16章17節参照)、これらの質問に答えるために紀元54年春頃に正典に記録されている第一コリント人への手紙(二通目の手紙)が記されたと考えられています。    

正典に記されている第一コリント人への手紙(パウロがコリントの信徒に宛てた二通目の手紙)が送られた後も、コリントの信徒たちの間にパウロを使徒として認めない人々が現れ、このためにパウロは再度コリントの信徒たちを紀元54年の夏頃短期間訪れたと考えられます。(第一コリント人への手紙16章6、第二コリント人への手紙2章1参照)しかし、その直後も信徒たちの一部がパウロを使徒として認めようとせずに反対し続けている、という報告をテモテから受けたために(第一コリント人への手紙16章10参照)パウロの述べた聖書の基本的な教義に反対する人々に対して紀元55年の春頃、涙ながらにコリントの信徒を戒める厳しい手紙をテトスに持たせて送ったと考えられています。(三通目の手紙、第二コリント人への手紙2章3,4、7章5-8参照sorrowful/severe letter a letter which is now lost)。この手紙も正典には記録されていないため、手紙は残されていません。

その後、パウロは福音、教義が単にパウロの個人的な教えではなく、聖霊によって神の言葉を伝えたものだということを人々が受け入れ、パウロの伝えたことばがコリントの人々に福音として正確に伝えられたことを見届けるために、テトスからの報告を待ちきれずにエペソからトロアスを経由して再度マケドニアに紀元55年春頃出かけました。(使徒書20章1参照)
しかし、そこで予定していたようにテトスとすぐには落ち合うことが出来ず(第二コリント人への手紙2章12、13参照)、テトスの到着を待ち焦がれていたときにテトスがマケドニアに到着し、(第二コリント人 への手紙7章6-16参照)パウロの述べた福音、教義が使徒の権威によって述べられた言葉としてコリントの信徒たちに受け入れられているという報告を受けました。

この直後、コリントの信徒たちに紀元55年の秋頃マケドニアからコリントの信徒たちに再度送った手紙が正典として記されている第二コリント人への手紙(四通目の手紙)だと考えられています。

この手紙がコリントの信徒たちに送られた後、パウロは紀元55年の暮れから56年頃再びコリントの地へ立ち寄り、(使徒書20章3、第二コリント人への手紙12章14) 第三次伝道旅行から帰路についたと考えられています。従って、パウロは、第三次伝道旅行で三年の期間エペソに滞在している間に、少なくとも三度コリントの地を訪れ、四通の手紙を送り、そのうちの二通の手紙が第一コリント人への手紙と第二コリント人への手紙として正典に記されたと考えられます。

第二コリント人への手紙は、神は、いかなる患難や試練の中にあっても、わたしたちを慰められ患難や試練をとおして栄光をあらわされることが述べられています。
パウロが宣べ伝えた福音によって集まるコリントの信徒たちの間に、主にイエス・キリストの福音を信じることはユダヤ人の伝統と律法を守らなければならないとするユダヤ人たちがあらわれました。彼らは、自分たちこそが預言者、使徒であることを主張し、(所謂ジュディアイザーと呼ばれる人々)パウロの使徒としての正当性を否定し自分たちの教えによって信徒たちを惑わそうとしました。
この手紙は、彼らのパウロにたいする非難、中傷に対して答え、パウロ自身の使徒としての使命を訴え、パウロ自身の苦難や患難をとおして神が栄光をあらわれることが述べられています。 
この手紙は、正典に記されている手紙のなかでも最もパウロ自身の心情を吐露した手紙であり、わたしたちの弱さや試練のなかにあっても福音を受ける人々に神は働かれ栄光をあらわされるることを知らせることが、主題となっています。
手紙はパウロのコリント滞在中に福音を信じたユダヤ人と多数の異邦人、そして、その後も福音を受け入れて集まった人々に宛てて述べられています。


概要

I.I. 挨拶 (1:1-11)

A.  挨拶 (1:1-3)
B. 苦難にある慰め(1:4-11).

 

II. 使徒としての擁護/弁明 (1:12–7:16):

A. パウロの動機と行動The Integrity of Paul’s Motives and Conduct (1:12–2:11)
B. 真の使徒としての特質(2:12-7;16)
1、 キリストの凱旋(2:12-17)
2、 あなた方が新しい契約に仕える者の推薦状(3:1-18)
3、 神の栄光の知識(4:1-6)
4、 土の器の中の宝(4:7-18)
5、 神からいただく永遠の家、復活の栄光のからだ(5:1–10)
6、 和解の務め(5:11–6:13)
7、 生ける神の宮(6:14–7:4)
8、 テトスからの報告、パウロの喜び(7:5-16)

III. 与えることの勧め (8:1–9:15)Hortatory: The Collection for the Christians at Jerusalem (chs. 8–9)

A. 持てるものを与えることの勧め (8:1-15)
B. コリントの地でのテトスの使命 (8:16–9:5)
C. 多く与えることの実り (9:6-15)

IV. パウロの使徒としての権威の証明 (chs. 10–13)

A. パウロの使徒としての権威についての弁明、神から与えられた使命Paul’s Defense of His Apostolic Authority and the Area of His Mission (ch. 10)
B. 弱さと患難によって体験する栄光、誇り (chs. 11–12)
C.最後の警告、真理に従う力 (13:1-10)
D.祝福の挨拶 (13:11-14)


鍵となる聖句

2Co 1:4 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。
2Co 1:20 なぜなら、神の約束はことごとく、彼において「しかり」となったからである。だから、わたしたちは、彼によって「アァメン」と唱えて、神に栄光を帰するのである。
2Co 1:22 神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。

2Co 2:14 しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。
2Co 2:15 わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。

2Co 3:17 主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。
2Co 3:18 わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。

2Co 4:6 「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。
2Co 4:7 しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
2Co 4:17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
2Co 4:18 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

2Co 5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。

2Co 6:2 神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。

2Co 6:16 神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、「わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう」。

2Co 7:10 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。

2Co 8:9 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。

2Co 9:8 神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。
2Co 9:15 言いつくせない賜物のゆえに、神に感謝する。

2Co 10:3 わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。
2Co 10:4 わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。 

2Co 11:14 しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。
2Co 11:15 だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなろう。

2Co 12:9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

2Co 13:8 わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。

2Co 13:14 (13:13) 主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。


 

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