神の国の日は近い

(ルカ福音書21章24-27)


イエスは群衆の歓呼に答えられ、子ロバに乗ってエルサレムに入城され、ご自身がメシアだということを公けに示されました。
しかし、大祭司、祭司、議会、パリサイ派、サドカイ派、律法学者たちなどイスラエルの指導者たちはイエスがメシアであることを認めず、イエスを殺そうとして機会を伺っていました。

イエスは、十字架に架かられる数日前、宮で民衆を教え、福音を宣べ伝えておられました。 
宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあることに、人々が感嘆している様子を見て、「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」と神殿の崩壊を預言されました。
弟子たちが驚いて「先生。それでは、これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」と質問したのに答えられ、弟子たちにもその時には理解できなかった、復活後に起こることを預言されました。

イエスはエルサレムの神殿が崩壊することを預言されたばかりでなく、イスラエルの民が世界中に散らされ、エルサレムが異邦人の終わりの時まで踏み荒らされ、終わりの日になると日と月と星には、前兆が現われ、キリストが花婿として花嫁を迎いに来られ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、天の万象が揺り動かされ、神の国を地上に建てられるために、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのをすべての人々が見ることを預言されました。

イエスが答えられた預言は、神殿の崩壊についての預言と、わたしたちが現在見る世界の終末についての預言が語られています。

イエスの預言のとおり、エルサレムは紀元70年にローマの軍団によって滅ぼされ、神殿の石は 残ることなく崩され、神殿は消失し、人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれました。
その後、イスラエルの民は約20世紀の期間を経て1948年に再び独立の宣言をし、1967年にはエルサレムがイスラエル領となるまで世界中に散らされ、流浪の民となりました。

エルサレムはイスラエルに帰属しましたが、パレスチナ、中東の紛争が続き、異邦人の時の終わり、現在にいたるまでテロが国内に頻発し、異邦人に踏み荒らされるという状態が続いています。


イエスは、神の国がこの世に建てられる日が来る前に、様々なしるしが現れ、そのようなことが起こる日には、贖いが近づいたことを悟り、からだをまっすぐにし、頭を上にあげなさい。神の国は近いと知りなさい、と言われました。

イエスは、神の国がこの世に建てられ、人の子が栄光をもって再び来られる日が近づくときのしるしは、日と月と星に前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、天の万象が揺り動かされるということを預言されています。
そして、その時になると決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれるために、もう一度全地球を揺るがす大地震が起こります。

人類は20世紀の最後から21世紀にかけて、歴史上類を見ないような大きな地震や天変地異を世界中の各地域で経験しはじめ、すでに日と月と星に天の万象が揺り動かされる前兆が現れはじめているのを見ることができます。 

イエスが言われている海と波が荒れどよめき、天の万象が揺り動かされるというしるしは、これからより本格的なものとなってゆきます。

聖書の幾つもの箇所に、このときのしるしについての様子が預言されています。

「 それゆえ、わたしは天を震わせる。万軍の主の憤りによって、その燃える怒りの日に、大地はその基から揺れ動く。」(イザヤ書13章13)

「 地は裂けに裂け、地はゆるぎにゆるぎ、地はよろめきによろめく。地は酔いどれのように、ふらふら、ふらつき、仮小屋のように揺り動かされる。そのそむきの罪が地の上に重くのしかかり、地は倒れて、再び起き上がれない。」(イザヤ書24章19,20)

「 主が立ち上がり、地をおののかせるとき、人々は主の恐るべき御顔を避け、ご威光の輝きを避けて、岩のほら穴や、土の穴にはいる。」(イザヤ書2章19)

「 天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く、月も光を放たない。」(イザヤ書13章10)

「 天の万象は朽ち果て、天は巻き物のように巻かれる。その万象は、枯れ落ちる。ぶどうの木から葉が枯れ落ちるように。いちじくの木から葉が枯れ落ちるように。」(イザヤ書34章4)

「 わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。」(ヨエル書2章30,31)

「 まことに、万軍の主はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。」(ハガイ書2章6)

「 あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、 こう言われます。『わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。』 この『もう一度』ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。」(ヘブル書12章26,27)

「 私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。 天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。 」(黙示録6章12-14)

「 すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。」(黙示録16章18)


神は「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」と言われ、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれるために、もう一度全地球を揺るがす大地震を起こされます。

人類が歴史上経験したことのないようなこの地震は、地域的なものではなく地球全体を震わせるものであり、どこにも逃げ場のない、地球を地軸から揺るがすものだということが示されています。

このような恐ろしいしるしが地球上にあらわれ、人々は海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、恐ろしさのあまり気を失います。

最近の世界規模の自然災害、津波、地震、核戦争の脅威など人類はかつてない災害に悩まされ、戦争の脅威におびえる不安な状況のなかに置かれています。

イエスはこのようなしるしがあらわれ、イスラエルの民が再び集められるときは、再臨の近いことを思い、怠りなく準備をしなさいと言われ、このときに起こることについて、いくつかの譬えを用いて警告をされています。

「そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。
しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。
あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。」(マタイ福音書24章40-44)

「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。
その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。」(ルカの福音書21章34,35) 

わたしたちは、イエスの言われた世界規模の自然災害、津波、地震、核戦争の脅威など、終わりの日の兆候をはっきりと今日見ることができます。

神は、神に信頼し、神に心を明け渡す者を、必ず試練のなかから救われ、神の裁き、怒りに定められることはありません。それは、イエスの十字架の贖いを救いとして受け入れる人々が、天の御国から来られる花婿であるキリストによって天の聖所に迎えられるからです。

しかし、地上では諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、天の万象が揺り動かされます。

いまわたしたちが、終わりの日の様々な兆候を見ることが出来るのは、花婿であるキリストが花嫁を迎え、地上に主の日が近づき、キリストが栄光を帯びて来られ、神の国がこの世に建てられるときがごく間近に迫っていることを意味しています。


天の御国から花婿であるキリストが花嫁を迎えに来られる譬えはマタイ福音書のなかにより詳しく記されています。

「 そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。
愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。
賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。
花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。
ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。
娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。
ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』
しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』
そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください。』と言った。
しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません。』と言った。
だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。」(マタイの福音書25章1-13)

この譬えは、わたしたちが目をさまし、その日に備えて準備をし、聖霊に満たされ続け、絶えず祈ることの大切さについて述べています。

「 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。
遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。
主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。」(ロマ書13章12-14)
 
キリストが栄光をもって再臨され、この世に神の国を打建てられる日は迫っています。
このようなときに主がわたしたちに言われているのは、目をさましていなさい、絶えず祈りなさい、実を結ぶものとなりなさい、(メッセージ”人生の優先順位”-御言葉をとおして実を結ぶの項参照)ということです。

キリストの肢体であるわたしたちは、花婿であるキリストが来られることを覚え、花婿を待つ10人の乙女のうちの賢い5人の花嫁のように、聖霊の灯火をわたしたちの心に燃やし続け、花婿であるキリストが迎えに来られる日まで、絶えず祈り、気をつけて待ち続け、花婿であるキリストが迎えてくださるのを期待することです。

この世の暗闇の状態が増せば増すほど、この世の罪に対する神の報復のときは迫っています。
そのときには本格的に天の万象が揺り動かされ地上の人々は出口のない患難を迎えます。             
暗闇が深まり夜がふければ光に満ちた新しい日を迎えることができるように、花婿のキリストが花嫁の教会を迎え、キリストが再臨されてこの世に神の国をもたらされる日は切迫しています。
神の国の日は近いのです。



 
ルカの福音書のメッセージ


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