御子の降誕

(ルカ福音書2章1-19)


キリストがこの世に誕生される約700年前、イザヤは、「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(イザヤ書9章6-7)と、メシアとして来られる方が人としての側面と神としての側面の両方を同時に兼ね備えてこの世に来られることを預言しました。

イエスは、ヨセフがそのいいなずけの妻とともに、ガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘム、ダビデの町へ住民登録のために上っていったとき、乙女マリヤから私たちと同じ人として産まれました。

この詳細が、ルカの福音書の1章のこの箇所に記述されています。

キリストが降誕される直前、世界帝国としての覇を握ることになったローマ帝国は、一人の将軍に独裁的な権力が集中することに反対する元老院によって世界の地域は三人の将軍によって分割統治され、元老院は独立した執政官任命権を付与されていました。
この将軍たちのなかで権力闘争に勝ち残ったジュリアス・カエサルは独裁官の地位を終身独裁権を持つものとし、皇帝の位に就くことを元老院に認めさせようとしました。しかし、これに反対する元老院によってジュリアスは、側近のブルータスによって暗殺されてしまいました。
その後もジュリアスの後継をめぐって激しい権力闘争がおこなわれ、後継争いに勝ち残ったジュリアスの養子縁組による甥ガイウス・オクタヴィアヌス・カエサルが独裁的な権力を持つこととなりました。
オクタヴィアヌスは、自分の大叔父であったジュリアス ・カエサルの持っていたディクタトル(独裁官)の称号を継ぎ、元老院に終身独裁権を認めさせるための称号を求め、元老院が終身独裁官や王の称号を与えようとしても、その称号には満足せず、神の権威を意味するアウグストの尊称が提案されると、この称号を気に入りアウガスタス・カエサル(シーザー)を名乗りました。彼は、各属州にローマ帝国直属の知事、総督を任命し、イスラエルを含むシリア地区の総督としてキリニウスを任命し、権力を誇示するためにローマ帝国全土と属州に住む全住民が自分の先祖の土地で住民登録をすることを強制し、すべての住民が課税されるという布告をしました。

このローマ皇帝の布告は、聖霊によってみごもり、身重となっていたガリラヤのナザレという町に住んでいたマリアとヨセフにとって、ナザレの町から先祖の土地ベツレヘムまで徒歩で128キロ以上の旅を強いられることを意味しました。

一方、この約700年前、南ユダ王国モレセテの町の出身であったミカによって、「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ書5章2)という、メシアがベツレヘムの町で生まれることが預言されていました。

ローマで権力を誇示しようとしたアウガストも、神の御手のなかで操り人形のように通常の状況では考えられない、出産間近いマリアとヨセフのガリラヤのナザレからベツレヘムへの旅を現実のものとし、メシアの降誕を手助けする道具として使われていたことがわかります。

人類を滅びから救われるメシアは預言されたとおり、ベツレヘムというダビデの町に降誕されました。

マリアとヨセフには宿屋には場所がなかったために、マリアは家畜小屋で産まれた男の子の初子を布にくるんで、飼葉おけに寝かせました。

このとき、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていたこの土地の羊飼いたちに、主の栄光が回りを照らし、御使いによって「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」と告げられたことが記されています。
そして、御使いがメシアの誕生を告げるとともに多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」と、賛美して言ったことが記録されています。
これが、みどりごとしてわたしたちに生まれたイエスの人としての側面です。


一方で、イエスは、神の御子として、聖霊によって乙女に宿り、永遠の神の救いのご計画のなかで人類に与えられた賜物としてこの世に来られました。
このときの御使いガブリエルが告げた受胎告知と処女マリアの応答が、ルカの福音書1章に詳細に記されています。

御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」(ルカの福音書1章26-33)

そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカの福音書1章34-37)

マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」
「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。 私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」(ルカの福音書1章38-55)

御子イエスの降誕は、初めからすべてを創造された神とともにおられた神のことば、神のご計画によって起こった出来事でした。

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(ヨハネ福音書1章1-4)

「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ福音書1章9-12)

「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
・・このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちで
す。・・ 」(第一ヨハネの手紙1章1-2)

これが神聖な方としてこの世に来られた神の側面です。

イエスという御名は、ヤーウェ・シュア、יְהוֹשׁוַּע יְהוֹשׁוַּעYhowshuwa` (yeh-ho-shoo'-ah) (or Yhowshua {yeh-ho-shoo'-ah}) 神が救う、神がわたしたちの救いとなってくださる方という名です。
イエスは、わたしたちの本質的な必要のすべてとなられ、わたしたちの叫びを聞かれ、わたしたちの痛みを知られるだけでなく、わたしたちを解放し、贖いと救いの備えとなられ、わたしたちの霊、魂だけでなく肉体をもその打たれた傷によって癒し、戦いのときの旗印、聖いものとしてわたしたちを聖別をされ、平安を与え、わたしたちを導かれる牧者であり、共におられ、義となってくださる、お方です。

イエスのみが、わたしたち一人一人の持つ本質的な問題を解決し、救うことのできる唯一の方、現在もわたしたちのために父なる神にとりなしをされ、弁護をされている素晴らしく驚くべき方の御名、天地が創造される前、はじめから父なる神とともに在った方の御名です。

この方が、ひとりのみどりご、聖霊によって乙女マリヤより生まれた神の御子、キリストです。


イエスの誕生の記録を見るとき、人々の思い、出産を控えて旅をするヨセフとマリヤの持っていたであろう疑問や不安、皇帝アウグストの傲慢な権力の誇示、人々の思いを越えて、神のご計画と栄光が成就し、信仰をもって歩む人々が天使の賛美と神の栄光を体験することが出来るのを認めることができます。

神は、ひとりのみどりご、神の御子を聖霊によって乙女マリヤに宿らせ、ナザレの村からベツレヘムへダビデの家系であり血筋でもあったヨセフとマリヤが信仰によってのぼったときに、預言されたとおりイエスの降誕を成就されました。

ひとりのみどりご、神の御子が来られたのは、わたしたちががいのちを得、またそれを豊かに持つため、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つため、暗黒と死の陰にすわるわたしたちを照らし、わたしたちの足を平和の道に導くためでした。

わたしたちのために生まれたみどりご、わたしたちに与えられた神の御子こそわたしたちに示された神の愛であり、神の恵みです。

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネ第一の手紙4章9-10)

わたしたちは、神の絶大な恵みのゆえに、ことばには言い表せないほどの賜物をだれでもが受け取ることができるのです。(第二コリント人への手紙9章15参照)

「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(第二コリント人への手紙5章20-21)



 
ルカ福音書のメッセージ


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