失われたものが回復する

(ルカ福音書15章1-3)


ルカの福音書15章は、パリサイ人、律法学者たちが「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」とつぶやき批判して言ったことにイエスが三つの譬えによって答えられたことが述べられています。 

最初の譬え、いなくなった一匹の羊が見つかるまで捜し歩き、見つけたら、大喜びでその羊をかついで帰って来る羊飼いの譬え、
二つめは持っていた十枚の銀貨のうちの一枚を失くし、その一枚を見つけるためにあかりをつけ、家を掃いて、念入りに捜し、失った銀貨を見つけた人の譬え、
そして、三つめの放蕩息子の譬えも、失われたものが、見つかり、共にその喜びを多くの人とともに分かち合って喜ぶという共通のテーマが述べられています。

イエスは、当時のイスラエルの社会では、罪人と烙印を押されるような娼婦、ユダヤ人でありながらローマ帝国のために人々から税を取り立てる収税人など、人々から嫌われる人たちを受け入れ、彼らと共に食事をしました。

パリサイ人や律法学者たちは宗教的な人々であったために、人々の目から見て、自分たちがイスラエルの伝統に従って、如何に律法を守っているのかということに気を配り、表面的な外見を取り繕うことに極端に気を使いました。

彼らは街に出るときにも、自分たちの着ている外套のような着物を自分の身体に密着させ、着物の裾が広がることによって、偶発的に女性やユダヤ人以外の異邦人に触れることのないように裾を引き上げ小股で歩きました。
罪人に自分が触れることによって、それがたとえ着物の裾であっても、罪人と看做されていた女性や異邦人、異邦人のために税を取り立てる収税人に触れることは、自分たちにも罪が移ることだと信じていました。 
そして厳格に伝統と律法を守るために、自分の着物が若し偶発的に罪人とされる人に触れた場合には神殿の建っていた近くのガイホンの泉に行き、自分の着物を洗い、身体を泉の流れる水で清め、宗教的に清められた状態とされた後に、神殿での務めをするということが慣例となっていた程でした。


ルカの福音書には7章にもイエスがパリサイ人サイモンの家に招かれ、食事をした時の様子が述べられています。

さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。
イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」と心ひそかに思っていた。
するとイエスは、彼に向かって、「シモン。あなたに言いたいことがあります。」と言われた。シモンは、「先生。お話しください。」と言った。
「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。
彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」
シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています。」と言われた。
そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。「この女を見ましたか。わたしがこの家にはいって来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。
あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしがはいって来たときから足に口づけしてやめませんでした。
あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。
だから、わたしは言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」
そして女に、「あなたの罪は赦されています。」と言われた。 すると、いっしょに食卓にいた人たちは、心の中でこう言い始めた。「罪を赦したりするこの人は、いったいだれだろう。」
しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」(ルカの福音書7章36-50)


パリサイ人や律法学者たちは、イエスが彼らの信じる宗教的な律法の教えを、伝統的な言い伝えに従って守らないことを非難し、イエスから欠点を引き出そうとつねに隙を窺っていました。

彼らは、イエスが律法の教えを言い伝えに従って守らず、罪人と看做されている人々を受け入れ、一緒に食事までしていることに非難の目を向け、「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」と、つぶやき批判しました。
彼らにとって、イエスが食事を罪人と一緒にすることは、罪人とひとつになることを意味していました。

伝統的なユダヤ人にとって、罪人や異邦人とともに食事をすることなど考えられないことであり、イエスが十字架の贖いを完成され、復活をされ、イエスを信じる人々に聖霊が注がれた後でさえ、ユダヤ人の信者と異邦人の信者が、共に食事をすることには大きな抵抗がありました。
 
福音が伝わり、イエスを信じる人々が集まり教会の時代になって、アンテオケの教会の人々はユダヤ人ではなく多くが異邦人でした。
使徒パウロは、この集まりの中から最初の伝道旅行に出かけ、帰還した後で伝道旅行をとおして異邦人にも福音が伝えられた様子を報告しました。
このアンテオケの教会に、エルサレムから使徒ペテロがやって来たとき、ペテロはアンテオケの信徒に交わって食事を共にしました。しかし、エルサレムから他の主だった信徒たちが来ると、 彼らは、ペテロが異邦人の信徒たちと一緒に食事する様子に驚き、ペテロ自身も異邦人の信徒たちと食事することを止め、エルサレムから来たユダヤ人の信徒の集まりだけで食事を採るようになってしまいました。この使徒ペテロの態度にたいして、使徒パウロが面と向かって抗議をしたことが述べられています。(ガラテヤ人への手紙2章11-16参照)
このように、パリサイ人たちの伝統は教会の時代になってからも続き、ユダヤ人にとって異邦人や罪人と一緒に食事をするということは、あり得ないことでした。

イエスが罪人を受け入れ、食事を共にするのを目の当たりにしたパリサイ人や律法学者たちにとって、イエスの行為は許し難い行為でした。
しかし、イエスは罪びとたちに触れることで罪びとを清められ、罪びとたちと一緒に食事をすることで彼らに手を差し伸べ、彼らを引き上げられ、神の国へと招かれました。

イエスがパリサイ人の家で食事をしていたとき、そこへ入ってきた娼婦が涙でイエスの足をぬらし、髪の毛でぬぐいましたが、イエスを招いたパリサイ人シモンが心ひそかに思っていた思いを見抜かれ、「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」と言い、女にも、「あなたの罪は赦されています。」と言われ、罪人を赦し、罪びとを引き上げられました。


このルカ福音書の15章は、イエスが、パリサイ人、律法学者たちのつぶやき、批判に対して述べられた譬えですが、イエスがこの世に来られたのは罪びとを救い、失われたものを捜し出して神の国に招かれるため来られ、神が人々を回復することを願われていることが述べられています。

失われたものは、羊、銀貨、息子であり、それを捜し出して見つけるのは羊飼い、女の人、父親に譬えられているイエス、聖霊、父なる神です。この三つの譬えはすべて、神が失われたものを捜し出して神の国に招かれるという一つのテーマで語られています。

最初の譬えは、羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくし、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩くという譬えです。この羊飼いはいなくなった一匹の羊が見つかるまで捜し歩き、いなくなった羊を見つけたら、大喜びでその羊をかついで帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、「いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。」と言ったという譬えです。
いなくなったと思われた羊を見つけ、その喜びを他の人々と共に喜ぶというのです。

次の譬えは、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜し、見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言う譬えです。女の人は持っていた十枚の銀貨のうちの一枚を失くし、その一枚を見つけるためにあかりをつけ、家を掃いて、念入りに捜し、失った銀貨を見つけました。女の人は自分の持っているものを家で失くしました。わたしたちのいのちは、もともと、わたしたちのいのちを創造された神のものですが、神は、人が生ける神から離れた状態のときに、その人の失われた状態を回復するために、あかりを照らし捜して見つけ出されます。

そして三つ目の譬えは、有名な放蕩息子の譬えです。
ある人に息子がふたりありました。弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言ったので父は、身代をふたりに分けてやりました。
それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立ち、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまいました。彼は何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、食べるにも困り始めました。そこで、この放蕩の弟はその国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせました。彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしませんでした。
しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。


この放蕩息子の譬えは、父親は息子を捜し求めに出かけるかわりに、息子が『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』と、自分が失われた状態になってしまったことに気付き帰ってくるのを忍耐強く待っています。

この父親は、「もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」と言って息子が帰ってきたとき、この放蕩息子を雇い人として迎えたのではなく、家族の一員として迎え、一番良い着物を持って来て着させ、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせ、肥えた子牛をほふり、食べて祝いました。

イエスが述べられた譬えは、わたしたちに差し伸べられる救いについて多くのことを教えてくれます。

しかし、イエスがパリサイ人や律法学者たちの語られた本当の意図は、この三つの譬えの最後の部分にあります。

ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』
すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。
しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』
父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』

失われたものが見つかり回復する喜びは、自分だけの喜びだけでなく、その喜びを共有したいと思う素晴らしい喜びです。

イエスが罪人を受け入れ、神の国に招いて下さる喜びは、パリサイ人たちが罪人に侮蔑の目を向け、自分たちの持っている基準によって他人を裁こうとする思いを超えた、魂の深い素晴らしい喜びです。

パリサイ人たちは、罪人が救われることを喜ぶより、イエスが罪人を救われることを批判し、つぶやきました。 

イエスは罪びととされ、社会からつまはじきされる人々にも深い同情の心をもって、彼らの悔い改めを喜んで受け入れられます。

父なる神は、わたしたちの人生が罪によってどんなに惨めな状態になったとしても、イエスに触れ、イエスに来るとき、わたしたちを受け入れ、清め、神の国に招き入れてくださいます。 

イエスに触れるとき、わたしたちは清いものへと洗われ、変えられるのです。 
どんな罪人がイエスに触れるときでも、イエスは罪によって汚されることはありません。
イエスに触れることによってわたしたちの人生は愛に満ちた神との関係を回復することが出来るのです。

イエスは罪人たちを受け入れてくださいます。そればかりか、罪びとたちと喜んで一緒に食事をを共にしてくださいます。


ルカの福音書のメッセージ


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