打たれた傷によって

(ヨハネ福音書19章1-10)


数年前、キリストの苦難を描いた映画が全米で上映され、そのなかで、キリストがローマの鞭打ち刑によって拷問を受ける場面があまりに残酷であったために評判になったことがありました。(The Passion of Christ"キリストの苦難” 参照) 

イエスは、群衆の好奇の目のなかを十字架を負わされローマ総督官邸の広場からゴルゴダの丘までの道を歩かれました。十字架に架かられる前に映画のなかでも克明に描かれているように、目をそむけるような残酷な鞭打ち刑によって、肉体を引き裂かれ、血を流し、ローマ兵がいばらで編んだ冠りを被せられ苦しみに会われました。

無実のイエスの受けられた苦難は、わたしたちの罪の代価を支払われるために、酷い十字架に架かられ苦痛のうちに死なれることだけでも十分と思われるのに、キリストは何故このような残酷な苦難を受けなければならなかったのだろうという疑問を、わたしたちは抱きます。

鞭打ちの刑を、ローマ帝国がより残酷な拷問としてまだ開発していなかった紀元前8世紀の終わり頃、イザヤは油注がれたメシアが、肉体を引き裂かれ、その引き裂かれた傷によってわたしたちが癒されることを預言しています。
「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ書53章5)

イエスがむちで打たれ、肉体を引き裂かれ、血をながされることについては、神の人類の罪にたいする贖いのご計画の一部であったことが聖書には預言され、イエスに対する鞭打ち刑の拷問も預言の成就であったことがわかります。

紀元前千年頃にダビデが詠んだと思われる詩篇のなかには、「 耕す者は私の背に鋤をあて、長いあぜを作った。」 (詩篇129篇3)というような、メシアの苦難を示唆する詩が預言として詠まれ、先に引用したイザヤは、「打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。」(イザヤ書50章6)と、十字架の苦難だけではなく、メシアが拷問によって苦しめられることを示唆する預言を幾つか見ることができます。

イエスご自身、エルサレムに向かわれるとき、弟子たちに、「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」(マタイ福音書20章18、19)と言われ、鞭打ちの拷問に会われることも預言されています。


イエスの会われた鞭打ちの拷問とは、一体どのようなものだったのでしょうか。

ローマの史家ヨセフスの記録によれば拷問に使われる鞭にはフラグラムと呼ばれる鞭が使用されました。
通常、受刑者は刑場の広場の杭に両手を括りつけられ、裸の状態でうつぶせに背中を伸ばしきって目隠しをされます。
このローマ帝国が開発したフラグラムと呼ばれる鞭は、小さな骨と鉄の破片を一連に皮や細く縦割りにしたニレ材に埋め込んで作られていました。この鞭で打たれると、受刑者は背中の皮がちぎれ、血まみれになり肉と骨が露出します。
この拷問を受ける受刑者は、余程強靭な大の男も大量出血で失神するか、または死亡します。

このフラグラムは、恐怖と苦痛によって犯した罪を受刑者が告白する度に執行人は打つ鞭の強弱を加減し、受刑者がこの鞭打ちの拷問で死んでしまうことのないように執行人は手加減し、もし受刑者が罪の告白をしなければ、鞭はより強く打たれました。

イエスには告白するような罪がありませんでしたから、この残酷な鞭打ちの拷問をあますところなく受けられたのです。

ここでも、「 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」(イザヤ書53章7)というイザヤの預言が成就したのを見ることが出来ます。

ローマ総督ピラトは、イエスを連れてきた大祭司やユダヤ人の議員たちに「私は、あの人には罪を認めません。」と言っています。
イエスが無罪であり、彼らがイエスを死刑にしようとしている本当の理由が、民衆からの人気にたいする妬みであることを知っていたピラトは、イエスを残酷な鞭打ちの刑にし、惨めな姿をさらすことで、サドカイ派、パリサイ派などイスラエルの指導者たちの血に飢えた要求に妥協をはかろうとしました。

鞭打ちに加えて、イエスはローマの兵卒に激しく打たれ苦しめ、嘲られ、更に髭を抜かれ、茨で作られた冠のとげが彼の額を突き刺しました。

万物が御子にあって創造されたにも拘らず、この世の罪の象徴である茨で作った冠りをイエスが被られたのも偶然ではなく、神の贖いの永遠のご計画の一部であったことがわかります。
罪の結果 土地はのろわれ、いばらとあざみを生えさせ、人は顔に汗を流して糧を得、ついに、土に帰るものとなりました。
イエスがいばらの冠りを被られたのは、罪ののろいを一身に受けられたことの象徴ともなっています。

イエスがこのような苦難に会われたのは、罪を贖うための神のご計画であったことは間違いありませんが、何故ローマの鞭打ちのような残酷な苦難を神の御子が受けられなければならなかったのでしょうか。 


ルカの福音書には、大祭司やユダヤ人の議員たちがイエスをローマ総督ピラトのもとに連れてきたとき、三つの嫌疑を訴えていたことが記録されています。

一つ目は、イエスがイスラエルの国民を惑わしている。
二つ目はローマ皇帝への税金を支払い義務を拒否するよう民衆を扇動している。
そして三つ目は、イエスが油注がれた王であると名乗っている。というものでした。

この三つの嫌疑のうち二つまでは大祭司やユダヤ人たちのでっちあげで、イエスは、イスラエルの民を惑わすことも、ローマへの税金支払いを拒否するために人々を扇動することもしませんでした。この二つの嫌疑にたいしてイエスは明らかに潔白でした。

三つ目の、イスラエルの油注がれたメシア、王であるとイエスが名乗っているという嫌疑は、イエスが約束されたメシアであるということを、彼らがローマに反抗する王であると歪曲して訴えた嫌疑でしたが、ローマ帝国の属領としてイスラエルを統治するために送られた総督ピラトにとって、ピラトに関心のないイスラエルの大祭司たちの宗教論争として見過ごすだけでは済まされない嫌疑でした。
そこで、イエスが連れて来られたときにピラトは最初に「あなたは、ユダヤ人の王なのか。」という質問をイエスにしています。ヨハネの福音書には、ピラトとイエスのこのときの問答が記録されています。

ピラトの「あなたは、ユダヤ人の王か。」という質問にイエスは「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか」と答えられ、ピラトが、「わたしはユダヤ人なのか。あなたの同族や祭司長たちが、あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは、いったい、何をしたのか」と言うと、イエスは、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」と答えられました。
ピラトが重ねて「それでは、あなたは王なのか。」と問うのにイエスは、「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」と答えられました。(ヨハネの福音書18章33-37参照)

ピラトはローマ総督としてユダヤ地区に任命されて以来、大祭司やイスラエルの指導者たちの宗教的な頑固さと、伝統に固執して総督の権威にしたたかに反抗する彼らを苦々しく思い、彼らの尊大な宗教的伝統に固執する頑固さに侮蔑の思いを抱いていたに違いありません。

ピラトにとって、イエスを十字架刑によって死刑にするかわりに、大祭司やイスラエルの指導者たちの主張する彼らの王の惨めな姿をさらすことが、イエスを鞭打ちの拷問にかける動機であったのかも知れません。

ローマの酷い鞭打ちの拷問を受け、兵士たちの嘲りと暴行を受け、茨で作った冠りを被せられ、紫色の衣を着てピラトの前に出て来られたイエスを見たピラトは、一方で説明のつかないイエスの威厳と神々しさにたいして畏敬の念に打たれ「さあ、この人を見よ。」という叫び声をあげました。

これを見た祭司長たちや役人たちは激しく叫んで、「十字架につけろ。十字架につけろ。」と言い、ピラトが「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさい。私はこの人には罪を認めない。」と答えると、ユダヤ人たちは「私たちには律法があります。この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります。」とピラトに訴え、再びピラトは官邸に戻ってイエスを釈放しようと努めました。

しかし、ユダヤ人たちは激しく叫んで「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」と主張し、ピラトがイエスを外に引き出し、敷石(ヘブル語でガバタ)と呼ばれる場所で、裁判の席に着いて「さあ、あなたがたの王です。」 と言うと、彼らは「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」と激しく叫び、ピラトが彼らに「あなたがたの王を私が十字架につけるのか。」と再度念を押したのに対して祭司長たちは「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」と答えました。

勿論、祭司長やユダヤ人たちは、ローマ皇帝カイザルに忠誠心を持っていた訳ではありませんでした。彼らは、イエスにも「私たちはアブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったこともありません。」(ヨハネ福音書8章33参照)と言っていますし、イスラエルがローマ帝国の属領となったことに心から従属してはいませんでした。

祭司長やユダヤ人たちが「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」と言ったのは、ピラトに対して、イエスがローマ帝国に政治的な反逆をする王であると自称する者であることを強調し、十字架の刑の判決を迫るための政治的な発言でした。

もしローマ皇帝への忠誠を口にする祭司長やユダヤ人たちが訴える、ユダヤ人の王と自称する者を、ローマ総督であるピラトが釈放したということが皇帝の耳に届けば、ピラトは総督としての立場を失います。

この時点で祭司長やユダヤ人の指導者たちの訴えがピラトの意図に勝り、イエスの十字架刑が決定付けられました。
ピラトは、最後に自分の主張をとおすために、祭司長やユダヤ人が「ユダヤ人の王と自称している」というように書き換えて欲しいという要求を拒否し、十字架の上にヘブル語、ギリシャ語、ラテン語で「ナザレのイエス、ユダヤの王」という罪状書きを掲げました。

イエスの受けられたローマの酷い鞭打ちの苦難には、ピラト、祭司長やユダヤ人、民衆、兵士たちの妬み、傲慢、不従順、したたかさ、偽証、保身、身勝手、付和雷同、残酷さ、などをとおして、わたしたちの持っている罪の醜さの結果、その惨めさがすべて凝集されています。

イエスが苦難に会われたのが神のご計画であり、わたしたちの背きと罪の結果、その責め全てをイエスご自分の身に負われた故だとしても、父なる神が愛する御子を残酷なローマの鞭打ち刑の苦難に会わせられなければならない特別な必然性は何であったのでしょうか。

聖書にはキリストの苦難、鞭打ちの拷問の意味についてどのように記述されているのでしょうか。

イザヤは「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ書53章5)と述べ、

使徒ペテロは、「イエスは、自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(第一ペテロの手紙2章24)と、述べています。

イエスの鞭打ちの苦難はあきらかに、わたしたちの背きと罪の結果、その責めをイエスがご自分の身に負われたということだけではなく癒しと関係があるように思われます。


イエスの鞭打ちの苦難は、その傷によってわたしたちの罪が贖われるだけではなく癒されるためであったことはあきらかです。

イエスが実際に行われた癒しの業や、使徒たちが行った肉体の癒しや奇跡は、使徒の時代以降は実際にはほとんど起こらなかったということが人々の思いのなかに前提となっていました。
多くの聖書解釈は、通常イエスが打たれた傷、受けられた拷問によって癒されるということを霊的な癒し、霊の回復というように霊的な側面だけが強調されています。 

マタイの福音書には、イエスが御言葉をもって霊どもを追い出し、また病気の人々をすべて癒されたとき、これはイザヤの「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」という預言の成就であったことが述べられています。(マタイ福音書8章17、イザヤ書53章5参照)

モーセに率いられてエジプトでの奴隷状態から解放されたとき、神はイスラエルの民に
「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」と宣言されています。

わたしたちを愛され、贖われる神は同時にわたしたちが病いからも解放され癒されることを願われています。

ヤコブは、その手紙のなかで「あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。」(ヤコブ書5章14,15)と述べています。
キリストの苦難、イエスが鞭打ちの拷問に会われたことで、このことばをわたしたちも文字通り受け取ることができるのです。

使徒の時代だけではなく、歴史的に現代にいたるまで祈りに答えてキリストへの信仰によって多くの奇跡的な癒しの業が行われてきました。

使徒パウロは、イエスが弟子たちと過ぎ越しを祝う最後の晩餐を共にされたときのことを、「パンを取り感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。『これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。』
夕食の後、杯をも同じようにして言われました。『この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。』
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。
みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。」(第一コリント人への手紙11章25-29参照)と述べて、パンを裂き、それを弟子たちとともに食べられたことがイエスがローマの鞭打ち刑の拷問によって肉体を引き裂かれるという預言の成就であったことを示唆しています。

父なる神は、わたしたちが御子の打たれた傷によって、その引き裂かれた肉体によって癒され、どのような苦難に会い、弱っているときにも義のために生きる力を得ることができるために、あえてこのような残酷な刑によって御子が苦しみに会うことを許されたのではないでしょうか。

イエスが打たれた傷、受けられた拷問によってわたしたちが癒されるということは、霊的な癒し、霊の回復というだけでなく、わたしたちがイエスの会われた苦難によってこの世における人生の歩みのなかにも、日々力と癒しを得るために現実の励ましとなる筈です。

「そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブル人への手紙2章17,18)



 
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