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旧約聖書

ヨブ記の学び


背景

旧約聖書は、大別して律法、歴史、詩、預言の分野にそれぞれ纏められ、記述されています。創世記からネヘミア記までに、旧約聖書の包括的な時代がすべて述べられており、創世記から申命記までは、神の律法、選びの民の道徳的な規律、定め、戒めについての記述がされ、ヨシュア記からネヘミア記までに、旧約聖書の時代の歴史が述べられています。
ヨブ記から、ソロモンの歌、または雅歌までは、旧約聖書における、別の分野、通常、詩的な文章の分野とされる記述がされています。
時代的には、それぞれ、ヨブ記が創世記が記述された時代紀元前2千年頃、詩篇がダビデが王位に就いた紀元前千年頃、箴言から雅歌に至るまでの記述はソロモンが王位に就いていた紀元前九百五十年頃を時代背景としています。
旧約聖書における詩は、現代の詩のように韻を踏んだり、詩歌における文章のリズムを強調することよりも、言葉、語義の並列によってそこに含められる思いや感情を表現する方法が採られています。代表的な並列様式は、同義語を並列的に述べたり、対立語を並列したり、合成的に並列したり、典型語の並列などがあります。
同義語の並列の例:明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。(ヨブ記38章7)
対立語の並列の例:正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。(箴言14章34)
合成語の並列の例:その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 (詩篇1章3)
典型後の並列の例:鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。(箴言27章17)

ヨブ記が誰によって記述されたのかは、記述のなかに誰が記したのかを明白にする記録がないために、いろいろな推察が神学者によってされていますが、結局のところ不明です。
ヘブル人の古い文献や、ラバイ達による伝承でもヨブ記の記者の名前は、不詳とされていますが、記録された年代は、モーセの時代以前(紀元前1450年以前)、多分アブラハムと同時代(紀元前2千年頃)か、あるいはそれ以前とされています。
ヨブ記をとおして描かれているのは、この世において何故正しい者が苦しまねばならないのか、ということが一貫したテーマとなっており、神がその主権によって、神の民が苦しみに会うことを許されること、神の民が苦しみ、試練をとおしてより清められ、聖化されてゆくこと、この記述をとおして、人の苦しみを神に訴えることの出来る仲介者、贖いをされる方、イエス・キリストがどのような方なのかが浮き彫りにされています。


概要

I. 序幕、神のヨブにたいする評価 (1:1-5)

A.ヨブの潔白 ( 1:1)     
B.ヨブの祝福 (1:2-3)
C.ヨブの献身 (1: 4-5)

II. 天上の情景、サタンの訴えと挑戦(人は悲惨な状態や苦しみのなかで神に信頼することはない。) (1:6-2:13)

A.ヨブの人格と苦難にたいするサタンの攻撃 (1:6-12)
B.ヨブの富と家族にたいするサタンの攻撃( 1:13-22)
C.ヨブの健康にたいするサタンの攻撃 (2:1-10 )
D.ヨブの悲劇を聞いてやってきた友人たち( 2:11-13 )

III. “友人”との問答 ( 3:1- 27:23)

A.ヨブの苦難の吐露 (3:1-26)
B.最初のヨブと“友人”との一連の問答、友人の意見とヨブの応答(神は罪深い者を罰し、正しい者を祝福される) (4:1-14:23)
C 二回目のヨブと“友人”との一連の問答
(神に敵対する罪人は苦難に会い、滅ぶ) (15:1-21:34)
D 三回目のヨブと“友人”との問答、友人の主張とヨブの応答
  a,エリファズの勧告、ヨブが偉大な神に罪を悔い改めることを勧める (22:1-20)
  b, ヨブ、 神の御前に自分のことを訴えることを願う ( 23:1-24:25)
  c, どのようにして人は神の前で義とされるか(25:1-6 )
  d, 神の御力の偉大さは自然界をとおしてもみることができる。友人の助言が慰めにも助けにもならないことをヨブが非難する (26:1-14)
  e, ヨブ、悪に希望のないこと、自分の潔白を引き続き主張し、友人の主張は受け入れ難いことを結論づける (27:1-23)

IV. 独白 (28: 1-37: 24)

A.ヨブの最終証言弁論 (28:1—31:40)
B.エリフの四つの弁論 ( 32:1—37:24)
  a, ヨブの友人の矛盾
  b, ヨブとの対立点
  c, 神には誤りがない
  d, 神は訓練され清められる

V. 神との対話 (38:1-42:6)

A.無限の神の知恵と有限な人の限られた知識.(38:1-40:5)
B.無限の神の御力と限られた人の能力(40:6-42:6 )

VI. 終幕 (42:7-17)

A.ヨブの“友人”に対する神の裁定(42:7-9)
B.神の回復と主権にたいする理解(42:10-17)


鍵となる節

  • 「このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、
    そして言った。『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。』ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。」(ヨブ記1章20-22)
  • 「神は私のように人間ではないから、私は『さあ、さばきの座にいっしょに行こう。』と申し入れることはできない。 私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない。」(ヨブ記9章32-33)
  • 「人は伏して起き上がらず、天がなくなるまで目ざめず、また、その眠りから起きない。
    ああ、あなたが私をよみに隠し、あなたの怒りが過ぎ去るまで私を潜ませ、私のために時を定め、私を覚えてくださればよいのに。
    人が死ぬと、生き返るでしょうか。私の苦役の日の限り、私の代わりの者が来るまで待ちましょう。」(ヨブ記14章12-14)
  • 「私の骨は皮と肉とにくっついてしまい、私はただ歯の皮だけでのがれた。あなたがた、私の友よ。私をあわれめ、私をあわれめ。神の御手が私を打ったからだ。
    なぜ、あなたがたは神のように、私を追いつめ、私の肉で満足しないのか。ああ、今、できれば、私のことばが書き留められればよいのに。ああ、書き物に刻まれればよいのに。 鉄の筆と鉛とによって、いつまでも岩に刻みつけられたい。
    私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」(ヨブ記19章20-25)
  • 「 ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい。
    私は御前に訴えを並べたて、ことばの限り討論したい。 私は神が答えることばを知り、私に言われることが何であるかを悟りたい。」(ヨブ記23章3-5)
  • 「ああ、私が前へ進んでも、神はおられず、うしろに行っても、神を認めることができない。左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことができない。しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。」(ヨブ記23章8-10)
  • 「 ヨブは主に答えて言った。
    あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。
    どうか聞いてください。私が申し上げます。私はあなたにお尋ねします。私にお示しください。
    私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。
    それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。」(ヨブ記42章1-6)


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