神の語られる言葉  

(詩篇19篇7-14)


多くの人々が、すべてを創造された神の語られる言葉を直接聞きたいと願います。
詩篇19編は、神が直接人に語られていることを詠んだ大変スケールの大きい詩です。
1節から6節までは自然を通して神がご自身を示されています。
7節からは、神ご自身のことばを通して、神がご自身を示されていることが詠まれています。
このふたつの啓示を通して神を知ることによってのみ、人生が満たされることを、この詩篇の作者は詠っています。

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。と、詠われています。
天を見上げるとき、神が無限の方、秩序を持たれていることを知ることができます。
大空を見上げ神の無限の知恵と、すべての自然を見るとき、その繊細なデザインと、自然を超越した神の御手のわざの素晴らしさを思います。
人は天を見上げ、自然の壮大さに打たれ、神の偉大な力、神が命を与えられ、光の源について想いを廻らし、神の御手によって創られた被造物の素晴らしさに感動し、ことばもなく、その声も聞かれなくても、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いている、と詩篇の作者は宣言をしています。

しかし、人は、天における神への賛美、自然や被造物をとおして語られている神のメッセージを往々にして誤って受け取り、神を知りながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心が暗くなり、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいます。
人は被造物を見て創造の神の素晴らしさを賛美するかわりに、被造物を見てそれを神とする過ちをおかします。 


7節からは、神が御言葉をとおしてご自身を示され、語られていることが詠まれています。
神は自然の力や美しさをとおしてだけでなく、みことばをとおして、ご自身をあらわされています。
神はわたしたちの人生に直接関わりを持っておられ、神の恵みのなかで、人生の岐路にあっても永遠に生きる希望を持ち、それを私達が知ることができるように御言葉をとおして語られています。

「 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。
主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。
主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。」(7節-9節)

神のみことばには、人の霊を生き返らせる力があります。
神のことばは単なることばではなく、それを聞く私たちに大きく働かれて、私たちを生き返らせ、新しい力を与え、心に喜びを与え、 心も体も健やかにする力があります。これは自然界が与えることのできないものです。

神は、私たち人間を神との交わりを通して、生きるようにと造られました。ですから、神の語りかけ、神のことばによって新しく生まれることが私たちには必要です。

「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」(申命記8章3)

「父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。」(ヤコブ書1章18節)

「 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」(第一ペテロ1章23)


この詩篇の作者であるダビデは、主のみおしえと言っていますが、直接的には、モーセの記した旧約聖書の最初の5巻、通常トーラと呼ばれているみことばを指しています。

神は、この旧約聖書の最初の5巻のトーラをとおして、神の人に対する偉大なご計画、一方的な恵みと奇跡、子羊の犠牲の血によってその民を解放し、贖われ、人がどのように、聖なる神を礼拝し、神との交わりを持ち、共に歩めばよいのか、どのように神に応えたらよいのか、神の言葉に信頼する信仰と従順の大切さ、不信仰と不従順がもたらす結果の悲惨さについて警告されておられます。 

すでにアブラハムが信仰によって義とされ、神の祝福の約束は、アブラハムの信仰をとおして与えられた一人の子孫に告げられ、このアブラハムのひとりの子孫、キリストを信じる信仰によってすべての人が救われるという契約を人類に明らかにされました。(ガラテヤ書3章16節参照)

そして、この神がモーセをとおして与えられた律法、戒め、神が示された真理に心を留め、それに聞き、守り、行なうことこそが、主を心を尽くして愛するという、愛の関係、交わりなのだと述べられています。

神のみことばにある約束、あかしは確かで、神のことばに信頼する者を賢くします。


「あなたの戒めは常にわたしと共にあるので、わたしをわが敵にまさって賢くします。
わたしはあなたのあかしを深く思うので、わがすべての師にまさって知恵があります。
わたしはあなたのさとしを守るので、老いた者にまさって事をわきまえます。」(詩篇119篇98-100)

御言葉は、人の賢さに優って賢く、神を恐れる者は御言葉を理解する知恵を与えられ、永遠の豊かないのちへと人を導きます。
従って、詩篇の作者は10節から、この詩篇の終わりの14節にかけて、神に信頼し、神の戒めのなかに生きることは、金よりも価値があり、蜜よりも甘い体験を味わうことができると宣言しています。
それゆえに、魂の内なる声に耳を傾けて神の呼びかけに正しく応答することのできるように、隠れている罪を神が赦され、傲慢の罪から守られ、傲慢が自分を支配しないようにと祈っています。

「それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。
あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。
私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。」(10節―14節)


人が神の語りかけ、神が御言葉をとおして直接語りかけ、呼びかけておられることに応答することができない最も大きな要因が傲慢にあることを、この詩篇の作者はよく知っていました。

わたしたちも、「どうか、隠れている私の罪をお赦しください。傲慢の罪から守ってください。」と、心から祈り、みことばをとおして、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い体験をし、「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。」という感嘆の声をあげる者となりましょう。


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