成功への鍵   

(ヨシュア記1章7-8)


多くの人々が成功し、繁栄することについて関心を持っています。
米国でも、デール・カネギーの「どうやって友をつくり、人に影響を与えるか」や、ナポレオン・ヒルの「よく考え、成長し富を得るThink and Grow rich」といった成功への早道のような本がベストセラーになることをみても、人々が個人的な成功に高い関心をもっていることがわかります。
人々は繁栄し成功することを追い求めます。

ヨシュア記の最初の箇所で、神は繁栄し、栄えることができるための秘訣について語られています。

神は、成功し繁栄するために法則、律法を与えられ、モーセに語られた御言葉を人々が守り、行うときに、必ず祝福と成功と繁栄がもたらされることを約束されました。

「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。
あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
あなたは、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福される。
主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。
主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。
あなたが、あなたの神、主の命令を守り、主の道を歩むなら、主はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。
地上のすべての国々の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。
主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。
主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。
私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行なうなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。」(申命記28章1-13)

詩篇の著者もそのことを、はっきりと次のように宣言しています。

「 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。
まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。 」(詩篇1編)

イスラエルの民を率い導いたモーセが生涯を終え、モーセに仕えてきたヨシュアが新しいイスラエルの民の指導者として、神がイスラエルの民に与えられると約束された土地に入るところからヨシュア記ははじまります。
民をこれから率いてゆく責務と、多くの敵や、巨人のいる地をこれから攻め滅ぼしてゆかなければならない重圧にあったヨシュアに神が励ましを与え言われているのがこの箇所のことばです。

神はヨシュアに、モーセがあなたに命じた律法を守り行うことが、繁栄し栄えるための秘訣だといわれています。


出エジプト記から申命記までを見てゆくとき、神がモーセをとうしてイスラエルの民が奴隷の状態から解放され、神の語られた言葉が与えられ、共に神がおられたにも拘わらず、40年ものあいだ荒野をさまよい、エジプトを出た時の世代が滅んでしまったことを読みました。

神の言葉が石の板に刻まれ、民にあたえられましたが、イスラエルの民は、神のことばを行うことができませんでした。
神のことばを自分自身の力で行なおうとしてもそれを行うことができないのです。

モーセは神の律法を代表する偉大な指導者でしたが、彼自身、神が約束された地に入ることは許されませんでした。
このことは、後に使途パウロがガラテヤ書(3章10-12)で述べてているように、律法をすべて堅く守って実行する者は誰もいない、律法によって神の前に義と認められる者が誰もいないことを象徴しています。

それでは何故、ここで、律法を守り行うことが繁栄し、成功する鍵だと、神はヨシュアに言われているのでしょうか。


律法は神の約束に反するものではありません。(ガラテヤ書3:21)しかし、わたしたちが自分の力によって律法を行おうとすると、わたしたちの肉の弱さ、肉の思い、目の前にあらわれる障害に心を奪われ、律法を行おうと思ってもそれを行うことができないのです。
「 私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。」(ロマ書7章14-19)

律法によって神の前に義と認められる者はいないのです。(ガラテヤ2:16)
律法は、あくまでもわたしたちをキリストに導く養育係りの役割を果たしています。(ガラテヤ3:24)

神ご自身が救いを達成され、神の約束を果たしてくださる、神のことばのなかに自分のすべてを委ね、わたしたちの救い主イエスに信頼し、その導きのなかに歩むとき、本当の繁栄と成功をすることができます。

「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。」(ガラテヤ2:20)


モーセの後を継いだヨシュアの名は、ヘブル語の原語では文字どうり神が救われるיְהוֹוָה הוֹשֵַׁע  Yhovah (yeh-ho-vaw') Howshea (ho-shay'-ah)という意味になります。ヨ(ヤーウェ)יְהוֹשׁוַּע=神、ホシュアיְהוֹשׁוַּע=救い、このヘブル語のヨシュアは、ギリシャ語でイエスἸησοῦς Iesous (ee-ay-sous)となります。このことも、神の約束がイエスを信じる信仰によって達成されるということを象徴しています。


神はヨシュアに対し何度も、恐れるな、雄雄しくあれ、わたしはあなたがたが何処へ行こうとも共にいると約束されています。神の約束は、わたしたちの思いや望むところを遥かにこえて素晴らしい繁栄と成功へと、わたしたちを導いてくださいます。

神はヨシュアに、あなたがたが足の裏で踏むところはみな、わたしがモーセによって約束したように、あなたがたに与えるであろうと言われています。(1:3)

偉大な指導者が没しても、それよりも更に偉大な指導者である神は生きて共におられます。   
繁栄と成功にわたしたちを導く偉大な指導者が存在するとき、その指導者のもとに繁栄を享受し、多くの人々が成功への鍵を握ることができます。

わたしたちは、目に見える偉大な指導者を失ったり目の前の状況が自分の思いを超えて激変するとき、恐れや不安にかられ、変ることのない本当の偉大な指導者、生きた神が共におられ、支えておられることを忘れてしまいます。                

後にイスラエルが王国となり、南王国で52年間も王位にあってイスラエルに繁栄をもたらしたウジヤ王が死んだときも、民は王国の行く末を案じ、不安に陥りました。しかし、その時にイザヤは偉大な指導者であったウジヤ王にまさる栄光の主が御座におられるのを見、神殿に神の栄光が満ちているのを見て、王国に繁栄をもたらされたのが栄光の主、万軍の主、王の王、生きた神であることを悟り、イスラエルの預言者としての召命を受けました。

ヨシュアも、偉大なイスラエルの指導者モーセが去った後に、栄光の主、万軍の主なる神から
ただ強く、雄々しくあって、モーセがヨシュアとイスラエルの民に命じたすべての律法を守り行なうことが、ヨシュアとその民が栄えるための秘訣であることを告げられました。

イスラエルの民は、神の律法を代表するモーセによって神の約束の地の境まで導かれましたが、モーセによって約束の地に入ることはできませんでした。
イスラエルの民は、ヨシュアによって神の約束を受け取り、それを享受することになりました。
神の律法は、わたしたちを神の約束へ導いてくれますが、律法によって約束を受け取ることはできません。
イエスの救い(ヨシュア)は、神の約束をわたしたちが受け取り、それを享受する道を開いてくださいます。


ヨシュアに導かれ、信仰によって足を踏み出し、モーセの律法を行う者に変えられ神の約束を勝ち取ってゆくことが、本当の成功と繁栄をもたらします。

わたしたちは、神の約束を信じ、達成するとき、本当の成功者として繁栄を手にします。

ヘブル人の手紙12章を読むと、神の約束に堅く立ち、信仰によって神の約束を信じた人々が雲のようにいることがわかります。 

堅く立って神の約束を受け取るためには、単に御言葉を聞くだけではなく行う者でなければなりません。
イエスは、「わたしを主よ、主よ、と呼びながら何故わたしの言うことを行わないのか」(ルカ6:46)「わたしの心を知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は多く打たれるでしょう。」(ルカ12:47)と、聞いているだけで行いの伴わないことに対する警告をされています。
ヤコブ書でも「御ことばを行う者になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。これに反して完全な自由の律法を一心に見つめ、行う者になりなさい。」といわれています。

パウロも「あなたがたは主イエス・キリストを受け入れたのだから、彼にあって歩きなさい。彼に根ざし、彼にあって建てられ、そして信仰が確立されてあふれるばかりに感謝しなさい。」(コロサイ2:7)と、御言葉を信仰によって行うことを勧めています。

ヨハネは、「愛する者たちよ、あなたがたの魂がいつも恵まれているように、すべてのことに恵まれるように。」(3ヨハネ1:2)と、わたしたちが、魂とすべての繁栄を手にすることができるように励ましのことばを述べています。

生ける神は、今も変ることなくわたしたちと共におられます。

すべての知識と知恵とがキリストのうちに隠されているのです。わたしたちがキリストのうちにとどまり、完全 な自由の律法を一心に見つめてたゆまず行うものとなり、御言葉を信仰によって行う者に変えられることが、わたしたちが人生の勝利者、本当の成功を得る者となる秘訣です。


 
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