神の愛に自分を保つ

(ホセア書4章1-3)


イスラエルの民はもともと神によって選び出され、エジプトの奴隷状態から神によって解放され導かれてカナンの地に領土を与えられ、王国としての繁栄も神の祝福によってもたらされました。

イスラエルの統一王国がソロモンの背信によって、北王国イスラエルと南王国ユダに分裂した後、ソロモンの家臣であったヤロブアムがイスラエルの十部族を率いて北王国イスラエルの王となりました。

ヤロブアムは民が南ユダ王国の領土であるエルサレムの神殿に上り、人々の心が北王国から離れユダ王国の王レハベアムに戻ることを恐れて金の子牛を二つ造り一つをベテルに据え、一つをダンに安置し、民がエルサレムへ上るかわりにダンを礼拝の場所としました。
それから、ヤロブアムは高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命し自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させました。

このことによって、イスラエルは生ける神から離れ、歴代の王たちも偶像を礼拝し、祭司たちも偶像を祀る儀式をとりもち、歴代の王は、主なる神に頼るかわりに近隣諸国との軍事同盟によって、国力を維持しようと計りました。

ホセアの時代には、民は偶像礼拝と背信によって人の心は乱れ、国にはもはや真実がなく、人々は誠実さを失い、民は自分たちを選び出された神を知ることがないという状況に国全体が陥りました。


神はホセアに「女を娶(めと)り、その女ゴメルは浮気な心を持ち、彼女は貞節ではなく結婚後も他の男たちと姦淫を重ね、遂には娼婦に身をもちくずす。彼女は、男の子を産む、男の子の名をイズレエルと名付けなさい。」と言われました。

神がホセアに示され、ホセアの歩んだ人生は、単なる比喩ではなく、ホセアとその妻となったゴメル、産まれた子供、ホセアの不真実な妻ゴメルへの慈しみ、愛をとおして、神がどのようにイスラエルを選ばれ、イスラエルの不真実にも拘わらず、神がイスラエルを慈しみ、愛され回復されることを描き、投影する実際の出来事でした。

イズレエルיזרעאלは、ホセアが預言した時代のイスラエルの王ヤロブアム二世の曽祖父エフーがバアルの偶像に従うアハブの家を滅ぼし、その70人の子供たちの血まみれの首をイズレエルの谷に並べ、アハブ王朝の人々を散らした場所、滅ぼし散らすという意味です。

ゴメルが再びみごもり女の子を産んだとき、神はホセアに再び「その子をロ・ルハマと名づけよ。わたしはもう二度とイスラエルの家を愛することはなく、決して彼らを赦さないからだ。」と言われました。

ロ・ルハマלא רחמהは、ヘブル語で慈しみの否定、慈しまないという意味です。

そして、ゴメルは、ロ・ルハマを乳離れさせてから、さらにみごもって男の子を産んみました。このとき神はホセアに「その子の名をロアンミと名づけよ。あなたがたは、わたしの民ではなく、わたしは、あなたがたの神ではないからである」。と言われました。      

ロアンミלא עמּיは、ヘブル語の原語でわたしの民でない、わたしの子でないという意味になります。

明らかにゴメルは姦淫によって男の子を産み、ホセアはこの男の子を「わが子ではない」と名付けました。(ホセア書1章2-9参照)


神の選びにあって、主の慈しみのうちに主の御声によく聞き従い、心を尽くし精神を尽くし、力を尽くして主を愛し、自分を愛するように他を愛すものに変えられるとき、神はわたしたちに、わたしたちの想像を超えた祝福を与えてくださいます。

しかし、一方で神の慈しみのなかで、不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、 盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者(第一コリント人への手紙6章10)は神からの祝福を自ら放棄し、自分自身を滅びへと至らせることになるのです。

神の一方的な恵みによって無条件にイスラエルの民は選ばれ、わたしたちも御子キリストの贖いと神の一方的な救いの選びを無条件に受けとることとができます。
神の選びのなかで神に従い神を第一とする時、より大きな祝福を受けることができるのです。

神の言われていることに聞き従い行うことがより関係を深め、より大きな祝福を受ける当然の前提となります。
それは、結婚した男女が互いを第一とすることが前提であり、信頼関係にあるときより深い喜びと平安があり、一方自分勝手に行動し、あげくに姦淫を行えばその結婚生活が破綻するのと同様です。

神はイエスキリストの流された血によってわたしたちを贖い、わたしたち一人一人が神の選びの特権にあづかることができます。
わたしたちが、神との信頼関係を持ち続けるかぎり、より素晴らしい祝福を自分のものとすることができます。

「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。
あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
あなたは、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福される。
主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。
主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。
あなたが、あなたの神、主の命令を守り、主の道を歩むなら、主はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。
地上のすべての国々の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。
主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。
主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。
私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行なうなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。
あなたは、私が、きょう、あなたがたに命じるこのすべてのことばを離れて右や左にそれ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。

もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。」(申命記28章1-15)


神は選びの民イスラエルと争われると言われています。(ホセア書4章1)それは、イスラエルが神との信頼関係にとどまらず、神が慈しまないものとなってしまったからです。

イスラエルは、神の選びと祝福のなかで建国し、国の繁栄を享受してきましたが、その繁栄が神によってもたらされたことを忘れ、物質的な繁栄や快楽を求め、生ける神よりバアルやアシュタレトの偶像を求めました。

彼らは生ける神に背き、神から離れ、彼らの社会的な道徳は激変し、異邦の価値感のなかで人々は勝手に自分たちにとって都合のよいことだけを行い、社会は堕落しました。

最初に神がイスラエルと争われているのは、「この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもない」(ホセア書4章1)ということでした。

真実がなく、誠実でなく、神を知ることもない社会、人々を神は慈しまれません。

このような状態のなかでは人々は、すべての約束や契約を簡単に破り、約束は意味のないものとなり、ただすべてをのろい、欺きに満ち、お互いの尊厳は踏みにじられ、人々は互いを憎みあい、殺し合い、盗みと姦通がはびこり、血を流し合うことが起こります。(ホセア書4章2)

人々が互いに欺きあい、すべてをのろい、命が簡単に踏みにじられ、殺人が横行し、盗みと姦通がはびこり、血を流し合うところには当然の結果滅びがもたらされます。

神は神の選び、その祝福から離れようとするものと争われます。それは、神との真実な関係、不誠実で神を知らないものとなるとき、その結果は「この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる。」(ホセア書4章3)という悲惨な事実を知っておられるからです。


不真実なホセアの妻ゴメルは、結婚後も他の男たちとの姦淫によってみごもり、自ら他の男のもとへ走り、ついには娼婦となって身をもちくずしました。

不真実、不誠実なイスラエルも、偶像の神々を礼拝し、生ける神を知らないものとなり、神の慈しみ祝福から離れ、欺きとのろいに満ち、人殺しと盗みと姦通がはびこり、血を流し合う社会となり、紀元前722年アッシリア帝国の王シャルマヌセルに攻められ、滅亡の憂き目をみることになりました。

このことについて、聖書は次のように述べています。

「イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王パロの支配下から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習に従って歩んだからである。
イスラエルの人々は、彼らの神、主に対して、正しくないことをひそかに行ない、見張りのやぐらから城壁のある町に至るまで、すべての町々に高き所を建て、すべての小高い丘の上や、青々と茂ったどの木の下にも石の柱やアシェラ像を立て、主が彼らの前から移された異邦人のように、すべての高き所で香をたき、悪事を行なって主の怒りを引き起こした。
主が彼らに、『このようなことをしてはならない。』と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。
主はすべての預言者とすべての先見者を通して、イスラエルとユダとに次のように警告して仰せられた。『あなたがたは悪の道から立ち返れ。わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、また、わたしのしもべである預言者たちを通して、あなたがたに伝えた律法全体に従って、わたしの命令とおきてとを守れ。』
しかし、彼らはこれを聞き入れず、彼らの神、主を信じなかった彼らの先祖たちよりも、うなじのこわい者となった。
彼らは主のおきてと、彼らの先祖たちと結ばれた主の契約と、彼らに与えられた主の警告とをさげすみ、むなしいものに従って歩んだので、自分たちもむなしいものとなり、主が、ならってはならないと命じられた周囲の異邦人にならって歩んだ。
また、彼らの神、主のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらに、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。
また、自分たちの息子や娘たちに火の中をくぐらせ、占いをし、まじないをし、裏切って主の目の前に悪を行ない、主の怒りを引き起こした。そこで、主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを御前から取り除いた。」(列王記下17章7-18)


イエスは「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マルコ福音書8章36)と言われていますが、神を知ることもない人々にとって、真実さ、信頼、人のいのちは空しいものとなります。

わたしたちがより豊かに祝福を受け取るために、主が近くにおられ、主にお会いできるときに主を求めるとき、主は必ず呼び求めるものに出会ってくださいます。

妻ゴメルが娼婦となり、落ちぶれて「私は行って、初めの夫に戻ろう。あの時は、今よりも私はしあわせだったから。」(ホセア書2章7参照)と告白したとき、神はホセアに「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」(ホセア書3章1)と言われました。
神に従ってホセアは、銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い戻し「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう。」と言いゴメルを再び迎えました。

神はわたしたちにも選びにあるものとして次のように言われています。

「 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」(ユダ書21節)



 
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