来るべき栄光の主

(ダニエル書7章13-14)


神は、ダニエルが見た幻をとおしてこれからの世界、国々の将来、永遠の栄光にみちた神の国が来ることを示されました。
ダニエル書7章は、世界を治める国家の権力が人によって支配され、政治権力が冒涜的な反キリストによって治められることによってすべてを創造された神にたいする人の反逆が最高潮に達し、その後に永遠に滅びることのない栄光に満ちた神の国が建てられることが述べられています。

ダニエルは、人が支配する世界的な国家権力を、海から上がって来た四頭の大きな獣が暴力と破壊を繰り返す恐ろしい国々の幻として見ました。

この大きな獣の幻は、ダニエルがバビロニア帝國のネブカデネザル王の巨大な像の夢を解釈したときと同じように、それぞれ、第一は絶対権力を確立したバビロニア帝國、第二はミード・ペルシャ帝国、第三はギリシャ帝国、第四はローマ帝国を象徴する獣としてあらわれました。

第四の獣には角があり、それはすごく恐ろしく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつける凶暴な獣の幻でした。
この獣には十本の角があり、最後に残る角に人間の目のような目があり、大きなことを語る口があって、そしてその獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見ました。

この第四の獣に生えた最後まで残る角は、ローマ帝国のような国家権力を持って、神を冒涜し聖徒たちと記されているユダヤ人を迫害する人物によって治められる国家を象徴しています。
この人物は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言し、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、滅びる人たちに対してあらゆる悪の欺きを行ないます。(第二テサロニケ人への手紙2章4 )
そして、この獣は、この人物の登場とともに殺されます。

聖書は、人によって支配される世界が、人の罪の性質と、罪の結果、国家権力は最終的に悪魔的な独裁者の手に堕ちることを述べています。
それは、背教のことがおこり、世界中の道徳が荒廃し、人々がより利己的になり、自分だけのことを考え、金銭を愛し、見えるところは誠実にみえてもその実は裏切る者が増え、生ける神によって与えられた人としての尊厳が侵害され、社会には不公平な格差が生み出され、民衆の政治にたいする期待が裏切られ、家族が崩壊してゆくときに起こります。

人によって支配される世界は、ダニエルがこの箇所で見た幻のように暴力と破壊を繰り返し、滅びにいたる獣の国々のようなものです。 
もし、人類の未来にたいする現実がこのようなものだけならば、この世の未来は限りなく暗く、希望のないものとなります。

しかし、神は栄光に満ちたご計画を持っておられ、それがダニエル書のこの箇所の幻に象徴されています。


神は、永遠を念頭に置かれて人を創造されました。しかし、人が神のことばよりも神に背く者サタンに従うことを選んだときからこの世には死がもたらされました。
この世は、神が意図された義と平安と喜びに満ちた完全な世界から、不完全で不義と争いと自分の欲求だけを追い求める世界となってしまいました。

わたしたちのこの世での人生は、永遠ではなく一時的です。
この世のわたしたちの歩みは、永遠のいのちを得るためのテスト期間となりました。人の永遠のいのちは、生涯人を創造された神と、わたしたちがどのように関わったのかによって決められます。

もし、わたしたちが神の恵みを受け取り、キリストの救いによってイエスを主として、主の権威と愛に人生を委ねて歩むなら、わたしたちの人生はこの世で祝福されるだけではなく、滅びることのない御国において、永遠のいのちを享受するものとなります。

イエスが十字架に架かられるとき、ユダヤ人たち、祭司長たちはイエスにたいする妬みと自分たちの保身のためにイエスを殺そうとし、イエスが王としてローマ帝国に謀反を企てる者だという訴えによってローマ総督ピラトにイエスを引き渡しました。
このとき、ピラトが「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と、問いかけたのに対してイエスは「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」(ヨハネ福音書18章36)と、答えておられます。

人々が神の国がすぐにでも現れるように思っていたときイエスは、王位を受けるために遠い国へ旅をした人が旅から帰り、人々が「この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません。」(ルカ福音書19章12)と言う、たとえを話されています。

人にとって何が最善なのか神はご存知です。 
神は、人が罪の欺きやその結果もたらされる悲劇から守られ、祝福に満ちた健全な人生の歩みが出来るための愛の秩序を決めておられます。

神の律法は、人が社会生活を送る上で悲惨さや悲劇、痛みをもたらす行いを禁じておられます。
さらに、神の与えておられる規律、律法によって、わたしたちは神の義がどのようなものかを知ることができます。
神は律法を与えられ、神の律法を社会の規範とし、それを行う社会を祝福され、自由と人権の尊重される社会が形成されてきたことを、人類の歴史は明らかに示しています。
国家が神から与えられた人権を不当に侵害し、権力を専横し、神の秩序である律法の規範から外れた社会となるとき、専横的な独裁専制政治を生み出し、国民が専横政治に虐げられるものとなります。
政治の本来の目的は、社会の義を守り、人々の福祉を守り、自由で安心な生活の出来る社会を作り出すことにあるはずです。

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。(エレミア書29章11)

人生における神の支配を拒否し神の律法に反抗する人々は、御国の王であるイエスの権威を妬み、自己保全と自分の義を主張し、イエスを拒否し、十字架の上で完成してくださったわたしたちのための罪の贖いを自分のものとして受け入れません。

神は、このような生き方をする人々に、この世の人生の終わりが訪れ、イエスキリストが再び来られるとき、永遠に彼らが神の秩序には従わず、神から引き離される者であることを確認されます。


ダニエルの見た幻は、凶暴な獣の幻で終わらず、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、
永遠の父なる神の御座に進み、その前に導かれ、この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになり、その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがないという幻でした。

神が意図されている来るべき御国は、過ぎ去ることなく滅びることもない義と平安、喜びと主の霊に満ちた御国です。 

イエスは弟子たちに、御国がこの世に到来することを祈るように教えておられます。(マタイ福音書6章13)

わたしたちは未だに栄光に満ちた御国がこの世に到来するのを見ていませんが、わたしたちが生ける創造者である神を一心に尋ね求めるなら、神はわたしたちに会ってくださり、御子イエスキリストの救いのわざによってどのような状況のなかでも永遠の希望と喜びを与えられます。

「 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」(ダニエル書 7章13、14)とダニエルが述べているように、キリストは天の雲に乗ってこの世に来られ、主権と光栄と国が与えられ、過ぎ去ることのない、永遠に滅びることのない御国を治められます。

イエスは最初にこの世に来られたときご自身を人の子と呼ばれ、再び来られるときについて、わたしたちが目をさまし、「用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのですから。」(ルカ福音書12章40)と警告されています。
人の子のような方としてキリストがこの世に来られ、永遠に滅びることのない御国を治められるとき、王国は想像を越えた栄光に満ちた王国であることが宣言されています。

聖書は、様々な箇所で、栄光に満ちた御国と、御国の王であるキリストについて述べています。

「主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。」(詩篇145篇3)

「主は世々限りなく王である。国々は、主の地から滅びうせた。」(詩篇10篇6) 

「しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々限りなく続く。」(ダニエル書7章18)  

「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。」(マタイ福音書6章13)

第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」(黙示録11章15)

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。(イザヤ書9章6,7)


永遠の御国は、わたしたちの人生をイエスが支配され、イエスがこの御国の王であることを認め、喜んでイエスに従う人々の国です。

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ロマ書10章9)

「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ロマ書10章10)         

しかし、口先だけで行いの伴わない信仰に対しては、「なぜ、わたしを『主よ、主よ。』と呼びながら、わたしの言うことを行なわないのですか。」(ルカ福音書6章46)という警告がされています。

人の子のような方としてダニエルの見た幻にあらわれたイエスキリストに、すべてのひざがかがみ、すべての口がイエスキリストは主であることを告白するときがやって来ます。

次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、(ロマ書14章11)

すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。 (ピリピ書2章11)

イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われています。(使徒書10章42)

神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行なわれるのです。(ロマ書2章16)
なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。(第二コリント5章10)

また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。(黙示録20章11)


イエスキリストが栄光の主として天の雲に乗り、この世に御国を治めるために再び来られるときのことを聖書は様々な箇所で言及しています。 

イエスは罪の贖いのわざを終えられ、神の右の座に着かれています。そしてごく近い将来、再びこの世に来られ、御国の民を治められます。

「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれ」(ヘブル書1章3)

「キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」(ヘブル書8章28)

「まことに、いと高き方主は、恐れられる方。全地の大いなる王。
国々の民を私たちのもとに、国民を私たちの足もとに従わせる。」(詩篇47篇2)

キリストの再臨を待ち望むわたしたちが、キリストの名の故に迫害と患難に会ったとしてもそれに耐えキリストへの従順と信仰とを保つことが出来るのは、わたしたちが神の国にふさわしいものとされるためです。

「神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。」(第二テサロノケ人への手紙1章6-7)

「日の出る所から、その沈む所まで、わたしの名は諸国の民の間であがめられ、すべての場所で、わたしの名のために、きよいささげ物がささげられ、香がたかれる。わたしの名が諸国の民の間であがめられているからだ。・・万軍の主は仰せられる。・・」(マラキ書1章11) 

「主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。」(詩篇103篇19)

イエスが最初にこの世にこられたのは、使徒パウロが「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』」(使徒書26章18)と述べているように、わたしたちの目を開き、サタンの支配から神に立ち返り、御国を受け継ぐ者としてくださるためでした。

神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。(使徒書10章36)

見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。(黙示録1章7)
けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。(ピリピ書3章20)

人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。(マタイ24章30)

イエスは大祭司に、「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」(マタイ福音書26章64)と告げておられます。

イエスは復活され昇天されるとき、彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられました。 このときも二人の天使がキリストが再臨されることを証言しています。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒書1章9-11) 

ソロモンがエルサレムの神殿を奉献するときに全イスラエルの民に「約束どおり、ご自分の民イスラエルに安住の地をお与えになった主はほむべきかな。しもべモーセを通して告げられた良い約束はみな、一つもたがわなかった。」(列王上8章56)と宣言したように、御ことばに約束されているこれらの栄光の主の再臨と神の国の約束は、近い将来一つもたがうことなく必ず成就します。

わたしたちのうちに住まわれる聖霊は、イエスキリストの十字架の贖い、神の恵みを受け入れ、御国が来るときに与えられる限りない希望と祝福を確実に知らせてくださいます。



 
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