ツロの君

(エゼキエル書28章12-17)


エゼキエル書の26章から28章は、当時 航海貿易によって巨万の富を築き、古代帝国のなかで繁栄し、ソロモンの神殿や宮殿の造営にも協力したツロ帝国についての預言がされています。26章はツロの都市にたいしてどのように都が完全な滅びに至るのか、27章ではツロの商業貿易が滅ぶことへの嘆きの預言、28章ではツロの王にたいする滅びの預言となっています。
ツロの都は、この預言の翌年、紀元前585年に、バビロニアのネブカドネザル王によって都が攻撃され、13年の歳月の後、城壁が破壊され、都は巨大な瓦礫と化してしまいました。    
しかし、ツロの人々は攻撃を受けている間に都を近くの海の中の岩礁島に移してしまいバビロニア軍が城壁を破ったときには、ほとんどの金銀財宝を沖合いの岩礁島に移してしまいました。このために、ネブカデネザル王は海からの攻撃を諦め、バビロニア軍の勝利は虚しいものとなりました。ツロは、海のなかの岩礁に建てられた都から航海貿易を続け、その後も200年以上存続しました。
           
バビロニア帝國が衰退し、ギリシャのアレクサンダー大王が世界制覇のためにペルシャへの遠征途上、地中海沿岸諸国からの侵略の憂いを除くため紀元前332年沿岸主要都市ツロに降伏を迫り、これを拒否したツロの都はギリシャ軍の攻撃を受けました。このときアレクサンダーは本土に残されていた古代都市ツロの瓦礫の山を海に投げ込み積み上げて、土手道を本土から島まで築き岩礁島のツロの都を海と陸から攻め、7ヶ月という短期間で海に浮かんだ都を陥落させツロの都は完全に滅び、歴史上消えました。

このときの本土と岩礁を埋めた土手道は、何世紀かの間に、打ち寄せられる土砂と堆積物によって広げられ、風化して海中の岩盤となり、後年漁師たちがが魚をとる網を広げ、繕い、洗い、干すのに格好の場所となりました。
26章に述べられているエゼキエルの預言は、このツロの都が滅びに至る歴史的出来事を詳細に預言し、特に7節でツロを攻める国の王ネブカドネザルを指す彼という三人称単数の代名詞が、11節までつかわれており、12節からはツロを攻めるのは、ネブカデネザルとアレクサンダーという複数の国の王たちを指す三人称複数形の彼らによってツロが完全に滅びてゆくという預言となっています。

ツロの都はネブカデネザルだけでなくアレクサンダーによっても攻撃され滅ぼされたことが正確に預言されています。そして、この預言は、「彼らはツロの城壁を破壊し、そのやぐらをくつがえす。私はそのちりを払い去って、そこを裸岩とする。石や木やちりまでも、水の中に投げ込まれる。わたしはおまえを裸岩とする。おまえは網を引く場所となり、二度と建て直されない。」ということばが文字通り成就したことも歴史をとおして証明されています。

27章は、古代世界において、地中海を拠点とする航海貿易と商業によって巨万の富を築き、美と贅の極みであった都市ツロが滅び行くことに対する嘆きの預言となっています。この27章の滅び行くツロに対する嘆きの詠歌は、黙示録18章に描写されている栄華をほこったバビロニアの商業主義が滅んでゆく様子の預言と似通った哀歌となっているのは大変興味深いことです。 

預言をとおして告げられている神のことばはすべて文字通り成就します。


28章では、巨万の富を築き、古代帝国のなかで繁栄し美しさを極めた都を擁し、栄華を誇り、知恵に満ち、自分を神として誇ったツロの王が滅びに至る預言が告げられています。     
ユダヤ人の史家ヨセフスの年代記によればこの時ツロの王の名は、エテバアルⅡ世とされていますが、彼は知恵に満ち、商才に丈け、航海貿易によって巨万の富を築き、古代世界における地中海沿岸の都市のなかでも美しさをきわめた都を建造し、国に繁栄をもたらしました。
このために、人々は王のことを神のように誉めそやし、王自身も自分を「海のなかで神々の座に座るもの」と見做し、人々の称賛を自分自身の才能、政治力、権力の故であるとして心を高ぶらせた、(エゼキエル28章2)と述べられています。

新約聖書には、援助を求めてユダヤ地方を治めるヘロデ王のもとにツロとシドンの人々が訪ねて来たときのことが記録されています。このとき、ヘロデはカイザリアの劇場で(現在も、その遺跡が修復され劇場の跡を見ることができます。)王の服を着、王座から彼らにむかって演説をし、ヘロデの関心を得ようと、この地域からやってきた人々が「神の声だ。人間の声ではない。」と叫び続け、 栄光を神に帰せなかったヘロデにうじがわき、ヘロデは虫にかまれて死んだことが述べられています。(使徒書12章19-23参照)                        

人であって神ではないヘロデが、人々の「神の声だ。」というお世辞と称賛を受け入れ、自分を神とみなしたことによって死と滅びを招いたことがわかります。

これと同じように、富や権力、知識、才能を与えられ、それらの賜物によって自らを誇り、心を驕らせ、多くの人々が滅びを招きます。 

ある分野で人並み優れた才能や富を与えられた人を見て、人々は、しばしばその人を誉めそやし、偶像化します。
人が人を偶像化するとき、たとえば、その有名となった人のまわりには偶像を崇拝するような雰囲気が漂います。
人々は、その人を偶像化された神(アイドル)として拝み始めます。

如何に才能に恵まれ、富や美を享受する人でも、彼らは人であって神ではありません。

知識も知恵も、才能も富も美もすべてが、主なる神から与えられる素晴らしい賜物です。しかし、往々にして人々は賜物を与えられる創造者である神の栄光を賛美するかわりに、目に見える賜物そのものや賜物を備えた人を賛美し崇拝します。

ツロの王は知恵に満ち、商才に丈け、航海貿易によって巨万の富を築き、美の極みといわれる都市を築き、繁栄をもたらし、彼自身も人々の称賛と崇拝を受け入れ、自分が神であることを宣言しました。

ツロの君が人々の崇拝を受け入れ、心を高ぶらせ、自分を神とみなし、それゆえに、最も横暴な異邦の民が来てツロが攻められ、ツロの君の美しさに剣が向けられ、輝きは汚され、海のなかで刺し殺され、滅びに至ったと、聖書は述べています。


エゼキエルは、この箇所でツロの君についての哀歌を12節から詠っています。ツロの君が心を驕らせ滅びに至ったその背後にあるもの、知恵、才能、富、美と人々の崇拝、自分を神とみなし滅びに至る君に対する描写は、サタン、あるいは明けの明星とよばれた悪魔にたいする描写となっています。

このツロの君に擬せられたサタンは、ある人々が抱いているサタンの恐ろしくて醜いイメージとは異なり、全きものの典型であり、知恵に満ち、美の極みであった、と描写されています。

彼は神の園、エデンにいて、あらゆる宝石、赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルドによっておおわれていた、と、述べられています。
神は、この君にたいして「あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが造られた日に整えられていた。わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。」と言われています。
さらに、「あなたの行ないは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。
あなたの商いが繁盛すると、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した。そこで、わたしはあなたを汚れたものとして神の山から追い出し、守護者ケルブが火の石の間からあなたを消えうせさせた。
あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。」と、完全な守護者ケルブであった神の美の極みの被造物が地に投げ落とされた理由が描かれています。

イザヤ書にもバビロニアの王に擬せられたサタンの描写が描かれています。このイザヤ書の箇所でも、「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』と、心を驕らせ、自らを神としたことによって、あなたの誇り、あなたの琴の音はよみに落とされ、あなたの下には、うじが敷かれ、虫けらが、あなたのおおいとなる。という宣言がされています。(イザヤ書14章9-17参照)

ここに王国の権力を握る王の背後にあるもの、サタンが地に落とされた理由が述べられています。

明けの明星であるサタンは、自分が天にのぼり、神の星々のはるか上に自分の王座をあげ、北の果てにある会合の山に座り、密雲の頂に上り、自分が神になろう。と、神の栄光を自分自身の称賛、栄光に変えて驕り高ぶりました。

栄光の称賛と崇拝は、神のものです。被造物は、大天使であっても、才能と美と権力を持つ人であっても神ではなく、称賛と崇拝の対象となって驕り、高ぶるときに滅びに至ります。

この世は明らかに、サタンの支配と影響を受け、多くの国々の王、権力が、この世の君であるサタンの欺きに支配されています。                   

神の栄光を否定し自分自身に栄光を帰せて自分を神のように看做そうとする暗闇の力、サタンは滅び行くこの世の支配者です。

この故に、使徒パウロは、「 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ人への手紙6章12)と、宣言しています。


神が人を創造されたとき、神は人を神に似せて創造されました。
しかし、人が神のことばより、サタンのことばを受け入れ罪に陥ったときから、人は、神に似せて創られたそのイメージから不完全で欠陥をもったこの世の君であるサタンの手に堕ちてしまいました。

サタンが人を誘惑した欺きは、サタン自身が陥った誘惑、欺きと同じ贅と肉の喜び、目に麗しく、神のようになれるというものでした。

自分自身を神とみなし、自分が神であると驕り高ぶったことによってケルブとして神の聖なる山に置かれた明けの明星、大天使は堕ちたサタンとなり、同じ誘惑と欺きによってわたしたちの心を支配しようと働いています。

知識と知恵を得、目に美しく、物質的な富と贅によって自分自身が神のようになりたいという誘惑は、多くの人々の人生の目標と希望を誤らせ、永遠のいのちの希望を一時の自分の欲望を満たしたいという願望に変えてしまいます。

神は人を神ご自身に似せて創造されたとき、人の心に栄光の神に似たものに変えられる望みを与えられました。
しかし、この望みは、人がエデンの園でサタンに欺かれ、滅びるものに変えられたときから自分が神になりたいという願望に変質してしまいました。そのために、人は才能に丈け、富と美を持ったものを崇拝の対象にして偶像とし、自分自身を誇り、驕るという欺きに陥ります。

栄光の神に似たものとされることと、自分を神であると見做して驕り高ぶることには大きな違いがあります。           

神は、わたしたちが、神ご自身が清く、義で聖であり真実であられ、慈しみに富んだ愛に満ちた方であられるように、わたしたちにも清く義で真実な者、慈しみと愛に満ちた神に似たものへと変えられることを望んでおられます。

イエスキリストがわたしたちの罪の贖いとして十字架に架かられ、復活によって天に昇られ、イエスを救い主と信じ福音を受け入れる者のうちに聖霊として住まわれ、わたしたちを内側から変え、栄光のイエスの似姿に変えてくださるのは、まさにこのためです。

「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。」(第一ヨハネの手紙3章2)

「 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」 (第二コリントへの手紙3章18)

与えられた才能、知恵、富によって人々の称賛を受け、自分を誇り、心を驕らせ、自分を神と看做す心の高ぶりは、サタンの欺きであり永遠の滅びをもたらします。

主の霊によって、わたしたちがキリストに似た者へと変えられ、状況を超えた永遠の希望を与えられていることこそ福音を信じるわたしたちの栄光の希望です。



 
エゼキエル書のメッセージ


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