主はいやすために打たれる

(イザヤ書19章22)


イザヤはユダヤ王国を取りまく周辺の国々にたいする預言のなかで、エジプトとエチオピアに対する預言をしています。当時、ユダ王国はユダヤを攻め滅ぼそうとするアッシリア帝国に対抗して、エジプトとエチオピアと同盟を結ぼうとしていました。 

この箇所で、イザヤは、エジプトの国と民の未来には困難と試練が待ち受けていることを宣言しています。

エジプトは国内が内乱によって廃(すた)れ、「エジプトを潤すナイルの川が枯れ、エジプトの川々は、水かさが減って、干上がり、葦や蘆も枯れ果て、ナイル川やその河口のほとりの水草も、その川の種床もみな枯れ、吹き飛ばされて何もなくなり、漁夫たちは悲しみ、ナイル川で釣りをする者もみな嘆き、水の上に網を打つ者も打ちしおれ、亜麻をすく労務者や、白布を織る者は恥を見、この国の機織人たちは砕かれ、雇われて働く者はみな、心を痛める。」(イザヤ書19章6-10)と預言しています。

ここで、エジプトを潤すナイル川がせき止められ、川が枯れ、水かさが減って干上がり、葦やよしが枯れ果てることが述べられていますが、この預言は、イザヤが預言を述べた時代から約2700年の時を経た現代になって現実に成就するものとなっています。

毎年のように氾濫するナイル川をコントロールするためにダムを造る試みは11世紀頃から始められました。このダムは1901年に完成し、幾度か拡張されましたが、1952年からこのさらに上流に建造されたダムは、アスワン・ハイ・ダムと呼ばれ、当時のナセル大統領がロシアの支援を受け、1970年に完成しました。 
しかし、皮肉なことにこのアスワン・ハイ・ダムの完成により上流から流れ着く栄養分や堆積物が均等化し、土砂供給の減少により氾濫原の土壌がやせたため、肥沃な土砂供給によって肥沃なナイル川下流域、特にナイル川デルタ地帯ではナイル川からの河岸及び海岸の侵食が激しくなり、また河口付近の海の生態系が影響され、デルタ地帯のナイル川支流の殆どが干上がってしまい塩水の浸食によって葦やよしが枯れ、水草も種床もみな枯れるという事態が発生するに至りました。
そればかりでなく、ナイル川の水流が減ったことで膀胱に寄生する寄生虫の中間宿主である巻貝が大量繁殖し、下流の住民に寄生虫の感染が蔓延し、多くの人々が腎臓を犯されるというような事態に至りました。
さらに、ナイル川河口の生態系が影響され、魚が獲れなくなり、この地域の漁業が壊滅的打撃を受けました。そして、古代からエジプトの王のミイラを包む麻の生産でも有名であった麻の生産が激減し、「亜麻をすく労務者や、白布を織る者は恥を見、この国の機織人たちは砕かれ、雇われて働く者はみな、心を痛める。」という状態は、現実のものとなり、預言が文字通り成就しているのを見ることができます。

イザヤの預言は、さらに、エジプトの元首、政治家、祭司たちが企てる計画は国家に不利益をもたらし、人々は行く末の不安に恐れおののくようになり、エジプトの未来は困難と試練が待ち受けるという厳しいものでした。


このイザヤの預言は、偶像に迷い、愚かなはかりごとによって滅亡の危機に瀕するような暗黒の状態に陥るエジプトが、最終的には主なる神へ助けを求め、エジプトに救いがもたらされること、主はエジプトを打たれ、打って彼らがいやされることを述べています。

生ける神は、エジプトに対する預言だけでなく、主なる神へ心から助けを求めるとき、必ず救いを送られます。
たとえ、どのように試練や暗黒に見える状況に陥っても、神が癒されるために打たれる、という真理は変わることがありません。
暗黒のように思える未来であっても、その更にある未来は、栄光に満ち希望と祝福に満ちた主の日が必ず到来します。

この預言の箇所でも述べられているように、神が彼らを打たれるのは彼らが癒されるためであり、わたしたちを滅ぼすためではなく、常に回復と癒しを目的として打たれるということを、わたしたちは知る必要があります。

エジプトに対する預言は、エジプト人が立てる計画が、偽りの神々に頼むとき、それはかき乱され、結局はより厳しい状況に追い込まれ、エジプトの首長や族長の助言が、ごまかしと迷いごとにしかならず、愚かなものとなり、国民は不安に恐れおののき、なすべきわざを持たなくなるというものでした。
このように、 わたしたちの人生も、自分で計画するすべてのことが思ったようにいかず、問題が山積し、人の助言を求めてもそれは結局愚かな助言に終わり、自分の未来に対してまったく希望の持てない状況に陥り、恐れと不安のなかで立ち往生するようなことがあります。

エジプトは内乱に陥り兄弟は兄弟と、友人は友人と、町は町と、王国は王国と、相逆らって争う、ことがこの預言にも述べられています。(14章2節 参照)


わたしたちの人生にも、生きた神の霊がわたしたちの良心にはたらいて、本当に選ぶべき方向を示されても、わたしたちのうちにある肉の欲望によって、自分ではするべきではないと思うことを行っている、止めるべきだと思うことを止められないという内心の葛藤、内にある相争う力によって心の内乱状態にある人生を多くの人々が送っています。

人生の歩みのなかでわたしたちが体験するこのような心の葛藤、内にある相争う戦いは現実のものであり、この戦いは肉と霊の戦いであり、殆どの場合肉がすでに戦いを制しています。

このような状態にあるわたしたちに、神はしばしば悲惨と思える状況の起こることをも許されます。
神は、わたしたちの人生に絶望と思えるような状況の起こることを許されますが、神が、わたしたちを打たれるのは、わたしたちを滅びに至らせるためではなく、打たれてわたしたちを癒されるためであり、聖書には常に未来に対する希望が述べられています。

現在わたしたちの周りに起こる状況のなかにも、悲惨で絶望的に思える様々な事柄を体験したり、見聞します。しかし、この世で起こる事柄は、ますます悪い事態となってゆきます。

終わりの日には困難な時代がやって来ます。そのときになると、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になる、(第二テモテへの手紙3章1-5 参照)という聖書の警告は、もうすでにわたしたちが体験する現実となっています。  

さらに、聖書は、終わりの日にこの世がどのような悲惨で絶望的な状況に陥るかについても、克明な描写と預言をしています。(黙示録6章-18章 参照)

多くの人々の心は創造者である神を否定し、神が言われている警告を無視し、自分の思い、意図を常に優先させる人生の歩みを歩むようになります。


イエスは弟子たちに終わりの日に起こることについて、「そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。」(マタイ福音書24章21)と、宣言され、「これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。」(マタイ福音書24章29)と預言されています。

しかし、すぐその後で、「そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」(マタイ福音書24章30)という栄光の約束を述べておられます。

神が悲惨に思われるような状況の起こることを許されても、暗闇が終わりではなく、悲惨な状態で終りにはならないことを聖書は明確に宣言しています。
神が暗黒に思える状況をも許され、わたしたちが打ちひしがれるような思いになるときでも、生ける神に心から救いを呼び求めるとき、神は必ず救いを送られます。

このエジプトへの預言からもみることができるように、エジプトが国の真中に、主のために、一つの祭壇を建て、彼らが祈りをもって主に救いを求めるとき、主が答えられ、彼らを癒されるように、わたしたちも暗闇の状況に陥り、主に打たれたように思えるときでも心からの祈りをもって主に救いを求めれば、主は必ず救いをもたらされ、癒してくださいます。

神は、神の持っておられる愛のご計画を変えることはされません。
しかし、神は、エジプトにたいしても、この世にたいしても、わたしたち個人々にたいしても、しばしば、打たれるような状況の起こることを許されます。
それは、わたしたちが完全に癒されるために必要なことだからです。

神は、わたしたちにとって天におられる良い父です。
良い父親は、子供が自分を滅ぼすような悪い習慣や行いを見て、それがどんなに害になるかを知っています。そして、子供に警告をし、それでも子供が聞く耳を持たないときには、懲らしめを与えます。しかし、子供に懲らしめを与える父親は、子供を滅ぼそうとしているのではなく、より先にある人生において癒され、より重大な危機から子供を守るためです。

あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」 (ヘブル人への手紙12章5-6) 



 
イザヤ書のメッセージに戻る


a:1087 t:1 y:0

powered by HAIK 7.0.5
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK