数々の確かな証拠

(使徒書1章3)


十字架に架かられ、息を引き取られたイエスは、聖書に預言され、生前のイエスが何度も宣言されたとおり三日目に復活され、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示されました。

イエスの復活については、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書に詳しく記されています。

-復活の日の朝

イエスの弟子たちは、イエスがこの世に平和と喜びと愛に満ちた神の国を建てるために来られたメシアであることを信じ、期待に胸を膨らませ、心を燃やし、イエスに従いました。
しかし、彼らは十字架に架かったイエスを見、息を引き取られるイエスの様子を目の当たりにして、神の国の希望と期待が崩れ、無力感と喪失感で心の火が消され、失意のどん底に突き落とされました。

過ぎ越しの安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、準備しておいた香料を持って墓を見に来ました。

マグダラのマリヤは、多分走って他の女たちより先に墓に着きました。
そのとき、大きな地震とともに主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがし、その上にすわりました。
主の使いの顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かったので、墓を番していたローマの番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになりましたが、彼らは事の次第を報告するために早速都に戻りました。 
そこへ着いたマリヤに、御使いは「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。ここがあの方の納められた所です。イエスが死人の中からよみがえられたことを弟子たちに知らせなさい。」と告げました。
これを聞いて、彼女はシモン・ペテロと、ヨハネのところに走って戻り、「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」と報告しました。

一方、マグダラのマリヤより遅れて墓に着いた女たちは、道々、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか。」と話し合っていましたが日が上ったとき、墓に着いて目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてありました。

彼女たちが墓の中にはいったところ、真白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見 え、驚いていると、青年は「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ですから行って、弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」と言ったので、女たちは気が転倒し、墓を出て、恐ろしかったのでそこから逃げ去りました。
すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」と言われたので、彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝み、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行きました。 

この女たちと入れ違いに、マグダラのマリヤの報告を聞いたペテロとヨハネは隠れていた家から外へ出て墓のほうへ走って行きました。 

先に墓に着いたヨハネは、からだをかがめて墓をのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見て中に入らずにいると、後に続いて墓に着いたペテロは墓にはいり、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見ました。そのとき、先に墓に着いたヨハネはそれを見て、イエスが復活されたことを瞬間的に信じました。
このときには、二人ともイエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していませんでした。そして、彼らはまた自分たちのところに帰って行きました。

ヨハネとペテロに遅れて再び墓に着いたマグダラのマリヤは墓に着くと、一人、外のところにたたずんで泣いていました。
そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込むと、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えました。彼らが彼女に、「なぜ泣いているのですか。」と言ったので「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」 と言ってからうしろを振り向き、すると、イエスが立っておられました。

しかし、彼女にはイエスであることがわかりませんでした。イエスは彼女に「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」と言われましたが、マリヤはそれを園の管理人だと思って「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」と、答えました。

イエスが「マリヤ。」と言われたとき、彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言い、それが復活されたイエスであることに気付き、イエスにすがりつきました。
イエスは彼女に「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」と、言われました。

-復活の日の昼頃から夕にかけて

女たちがイエスが復活されたことを隠れていた弟子たちに知らせ、マグダラのマリヤも、イエスといっしょにいた人たちが嘆き悲しんで泣いているところに再び戻って「私は主にお目にかかりました。」と知らせましたが、彼らは、イエスが復活され、お姿を見たと聞いても、それを信じようとはしませんでした。

その後、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中イエスは別の姿でご自分を彼らに現わされ、共に語り食事をしました。

日が沈んだ頃、いなかのほうへ歩いていったこの二人が急いでエルサレムに戻り、残りの人たちに復活のイエスに出会った次第を話しました。(ルカの福音書24章13-33参照)

しかし、これらの報告を聞いた後でも弟子たちとその仲間たちは、ふたりの話も信じませんでした。
それから後になって、イエスは、彼らが食卓に着いているところに現われ、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかった彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになりました。

-復活の日の夕べ

イエスは、弟子たちが食卓に着いているところに現われ、彼らが驚き恐れて、霊を見ているのだと思っていると、「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。
わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」と言われ、
それでも、彼らがうれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっていると、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われました。

彼らが、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って食べられ、「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」と言われて、聖書を悟らせるために彼らの心を開き、「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。 あなたがたは、これらのことの証人です。」と言われました。
弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったにもかかわらず、イエスが来られ、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言って、その手とわき腹を彼らに示されました。

弟子たちが、主を見て喜ぶと、もう一度イエスは彼らに「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と言われ、彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」と、宣言されました。


復活のイエスが弟子たちにあらわれたときに、十二弟子のひとりでデドモと呼ばれるトマスは、彼らといっしょにいませんでした。
それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言ったとき、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言いました。

復活の日の夕方弟子たちに現れ、「聖霊を受けなさい。」と言われて彼らに息を吹きかけてから八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいました。

イエスは彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われ、それからトマスに「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」と言われました。

トマスは答えてイエスに「私の主。私の神。」と言い、イエスは彼に「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」と言われました。


この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされ、その現わされた次第はこうでした。
「イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。」という女たちが御使いをとおして弟子たちに伝えたことばのとおり、シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子はいっしょにガリラヤ湖にいました。イエスがすぐにはあらわれなかったので、シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く。」と言い、他の弟子たちも「私たちもいっしょに行きましょう。」と言って、彼らは出かけて、小舟に乗り込みましたが、その夜は何もとれませんでした。
夜が明けたころ、復活のイエスは岸べに立たれましたが、弟子たちにはそれがイエスであることがわかりませんでした。
イエスが彼らに「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」と、言われると、彼らは「はい。ありません。」と答え、イエスは「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」と彼らに言われました。
そこで、彼らが網をおろすと、網を引き上げることができないほどのおびただしい魚が漁れました。
そこで、弟子のヨハネがペテロに「あれは、主だ。」と叫び、シモン・ペテロも主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込みました。
ほかの弟子たちは、陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離を魚の満ちたその網を引いて、小舟で戻って来ました。

こうして彼らが陸地に上がったとき、イエスはそこに炭火とその上に載せた魚と、パンとを用意され、彼らに「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」と言われ、Joh 21:11 シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げました。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいで、それほど魚が多かったけれども、網は破れませんでした。

イエスが彼らに「さあ来て、朝の食事をしなさい。」と言われたときも、弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか。」とあえて尋ねる者はいませんでした。
イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになり、また、魚も同じようにされました。

イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現わされたのは、すでにこれで三度目でした。


後に使徒として復活のイエスから異邦人への伝道のために召されたパウロは、イエスの復活を、「その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。
そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。」(第一コリント人への手紙15章6-8)と、記述しています。

「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれた。」ということは旧約の預言を記したことばの成就として疑う余地のない歴史的事実となりました。

そして、それはわたしたちの神にたいする背きの罪を赦すための神の恵みの業として起こった出来事でした。

さらに、イエスが預言されたとおり三日目に死から復活されたことは数々の確かな証拠によって明らかな動かすことのできない人類の歴史に起こった最大の出来事となりました。

このようにイエス・キリストにある希望が確実な約束であり、イエス・キリストの十字架の贖いと復活は、どのように悲惨に見える状況に置かれるときにも、わたしたちが、生けるキリストにある聖書の永遠の希望に満ちた人生を歩むことが出来ることが証しされています。

「そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(第一コリント人への手紙15章17-20)



 
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