神の都-新しいエルサレム   

(黙示録21章の講解)

21章からは、わたしたちの知っている次元を超えた永遠の事柄について述べられています。
イエス・キリストが千年の神の国をこの世で治められた後で、新しい天と新しい地が創造され、その世界を21章で垣間見ることができます。

黙示 21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

使徒ペテロは、わたしたちの知っている天と地がいつか滅びることについて、「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、 当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」
(第二ペテロ3章5-7、13)と述べています。

イザヤは、「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。」(イザヤ書65章17)と、神が新しい天と新しい地を創造されることを述べています。

このイザヤ書で使われている「創造する」ということばのヘブル語の原語にはבּרא baw-raw'バラということばが使われ、עשׂה aw-saw' アサということばが使われていません。

バラということばは、「まったくの無から有を生じさせる、創造する」という意味であり、アサは「すでに存在する素材を加工して造る」という意味があり、バラという創造は全能の神だけが持っておられる創造です。

「はじめに、神は天と地を創造された。」と、述べられている創世記1章1節にもこのバラという言葉が使われています。

地球の約四分の三が、現在、大海や水でおおわれています。現在の地球に海が存在し、大海に塩分が含まれているのは、地球上に人間や生物が生存するための浄化作用をしていますが、罪のない汚れの存在しない世界では浄化作用は必要なくなり、海も必要なくなるのでしょう。
海の生物はどのようになるのだろう、海が大好きだという人々にも、神はもっと素晴らしい環境を用意されます。

黙示 21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。

新しい地球には、新しいエルサレムの都が月のように天空の軌道の回りを回るようです。
永遠の栄光に満ちた新しいエルサレム、聖なる都が出現し、神にたいする反逆が宇宙からすべて消し去られ、サタンの惑わしも欺きもない、唯一の絶対的で完全な神がすべてを治められる栄光に満ちた世界が出現します。

黙示 21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
黙示 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

そのときには、神は彼らとともに住み、彼らはその民となり、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださいます。
栄光の完全なからだに変えられた人々は、病も死もなく、疲れや倦むことのない素晴らしい世界で、すべての以前の悲しみ、叫び、苦しみは過ぎ去ったものとなります。

黙示 21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
黙示 21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。
黙示 21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

イエスが言われた「わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。」(マタイ福音書25章34)という宣言が実現し、想像を絶する栄光に満ちた世界が、世のはじめからイエスの福音を信じる人々に用意されていたのだということを悟り、人々は主の恵みに圧倒され、栄光の身体に変貌した人々は宇宙の彼方にまでその素晴らしい新しい創造を探求し、その素晴らしさのすべてを享受することが出来るというのです。

この神の約束は想像や空想でもなく、アルファであり、オメガである神ご自身が繰り返し保証されていることです。

神は渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませ、勝利を得る者に、これらのものを相続させてくださいます。
「 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」(ロマ書8章16,17)

黙示 21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」
黙示 21:9 また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」

自分自身の善行や努力などによって天国に来ようとし、イエスをメシアとして人生の歩みを踏み出すことにおくびょうな者、不信仰な者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は第二の復活のときにおこなわれる、神の大きな白い御座の裁きのときに、その行いが神の御子キリストの義と比較して完全でないことについての裁きを受け、死とハデス、火の池に投げ込まれ、第二の死を報いとして受けることになることを20章でも見ましたが、そのことがここでも繰り返されています。

また、あの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが、イエスを主として人生を歩んだ人々、子羊の花嫁の住む都を霊によってヨハネに示しています。

黙示 21:10 そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。
黙示 21:11 都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。

イエスをキリストと信じ、イエスを主として人生を歩んだ人々が、この新しいエルサレムに住むことになる日が来ます。、この都は永遠のいのちを受けた人々の住む素晴らしい天空に浮かぶ都、永遠の聖なる都エルサレムです。

この都には神の栄光の輝きがあり、その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようだというのです。

黙示 21:12 都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。
黙示 21:13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。
黙示 21:14 また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。
黙示 21:15 また、私と話していた者は都とその門とその城壁とを測る金の測りざおを持っていた。
黙示 21:16 都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。
黙示 21:17 また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。これが御使いの尺度でもあった。
黙示 21:18 その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。
黙示 21:19 都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、
黙示 21:20 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
黙示 21:21 また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。

十二の門には、イスラエルの十二部族の名が書いてあり、土台石には十二使徒の名が書かれていました。  
十二という数が意味のある数であることが新しいエルサレムを見るときわかります。十二という数字は聖書では普通、治めることを意味しています。アブラハム、イサク、イスラエルと名前を変えられたヤコブの十二人の息子たちから、イスラエルの十二部族によってイスラエルが分けられ、部族が後に国家となってからも夫々が重要な役割を果たし、王権国家になってからも国は十二の部族によって治められました。
キリストの十二使徒によって、世界中に福音は伝えられました。
この都は、イスラエルの救われた人々とキリストの花嫁である人々が共に住む都です。

ヘブル書に「信仰によって、彼アブラハムは約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは
神です。信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星のように、また海ベの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。
これらの人々はみな、信仰をいだいて死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」(ヘブル書11章10-13)と、述べられている、アブラハムが信仰によって待ち望んだ神の約束した永遠の都は、この都のことに違いありません。

信仰をいだいて死んだ人々らがはるかに待ち望んでいた都、神によって堅い基礎の上に建てられた都は、このときヨハネが天使によって見せられた新しいエルサレム、天からくだってくる神の都が天からくだってくるとき現実のものとなり、彼らは栄光の復活のからだをもってこの都を享受します。

神は、旧約の時代の信仰者たちにもこの素晴らしい都のことを語られていたのです。
イエス・キリストにあって希望を持って歩むすべての人々が、この世では旅人であり、寄留者です。永遠の住まいはこの地上ではなく、神によって土台を築かれ、建てられた都を望み見ました。

この都は高い壁と十二の門をもっています。この都の入り口にはイスラエルの十二部族の名前が刻まれ、それぞれの入り口には天使が立っているというのです。
このヨハネに語っていた天使は、金の測り竿で都を測り、門を測り、壁を測りました。
都は二千二百二十キロメートル四方で十二層の都市で、全体では約百二十億立方キロメートルの面積を持つ都であるということになります。
この都の面積はちょうどわたしたちの知っている月と大体同じくらいの面積の方形をした、十二層のすべてが透き通った宝石のような輝きをもった都だというのです。
この都に栄光の身体に変貌した人々がどのようにして住まうのかはわかりませんが、すべての人々がこの都に自由に出入りし、彼らは天体の無数の星をも受け継ぐことになるのでしょう。

ヨハネは、新しいエルサレムの都を囲む壁を測りました。
城壁は碧玉で造られ、それは、天使の尺度によれば百四十四キュピト(約六十五メートル)ありました。そして、都の大通りと都全体が、透き通ったガラスのような純金で、できていました。

金の純度が非常に高くなると金が透き通ったように光をはなつことは知られていますが、現実に透き通るまでに金の純度,精度を高めることは人の技術ではできません。

都の土台は、さまざまな宝石で飾られています。この土台石は、第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であったというのです。
これらの宝石は、イスラエルの大祭司が正式な衣装をまとい、胸当てをつけるとき、その胸当てを飾る宝石と同じ宝石が挙げられています。(出エジプト28章17-20)

さらに、門は一つの真珠から造られているというのですが、それがいかに巨大な真珠であるかが憶測できます。

人々は古代から究極の富の象徴として金を求めてきましたが、新しい天と新しい地が創造されるときは、都全体と通りが透き通った金で造られているというのです。

純度、精度の高い透き通った金が都全体にふんだんに使われ、通りもアスファルトのかわりに金で敷き詰められているとすれば、神の富が無尽蔵だということがわかります。

黙示 21:22 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。

ヨハネは、この都の聖所を探しましたが見つけることができませんでした。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが人々とともにおられ、聖所が必要ないからです。

黙示 21:23 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。

神の栄光がこの都を照らしているので、都を照らす日も月も必要ありません。神の栄光がこの素晴らしい都にあってさまざまな宝石類に反射し、神の美を一層際立たせ、想像を超えた美しさと輝きを放っているのです。

黙示 21:24 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。
黙示 21:25 都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。
黙示 21:26 こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。
黙示 21:27 しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。

古代、都は壁で囲まれていました。これらの壁は外敵からの防御のために築かれ、夜には外からの敵が侵入することのないように門が閉じられました。しかし、この新しい都の門は一日中決っして閉じられることがありません。
新しい神の都は、神の栄光が美しさと輝きを放ち、暗闇や夜になることのない都であり、外敵からの防御をする必要のない都なのです。
すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は決して都に入ることができません。   
子羊のいのちの書にその名を記された者だけがその都に入ることを許されるのです。
イザヤは「国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。
あなたの門はいつも開かれ、昼も夜も閉じられない。国々の財宝があなたのところに運ばれ、その王たちが導かれて来るためである。」(イザヤ書60章4,11、)と、述べていますが、このときのことを預言したものと思われます。



 
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