女と龍

(黙示録12章の講解)

御使いの吹き鳴らすラッパの裁きのなかで最後のラッパが鳴るときにどのようなことが起こっているかについての挿入部分が11章から15章まで描かれています。
12章は、ヨハネが見た天に現れた巨大なしるしについて述べられています。

黙示12:1 また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。

原語ではμέγας meg'-as メガ、すなわち巨大であったと述べられています。このメガという言葉は3節、12節、14節にも使われていますが、ヨハネの見た幻が圧倒的で巨大であり、重要な意味をもつていることがわかります。

この12章に描かれている天にあらわれるしるし、ギリシャ語の原語で σημεῖον say-mi'-on  セイメイオンは、あるものや、事柄を指し示し、現実に起こっている事柄、物事についてそれを象徴する不思議な事象という意味を持っています。               

聖書の御言葉を文字どうり解釈することは、御言葉を理解する上で大切な原則ですが、この箇所のように、これは、しるしであるとはっきり宣べられている場合には、そのしるしが何を意味しているのかを明らかにする必要があります。

この箇所でヨハネが見た天に現れたしるしは、子羊が巻物の封印を解き、ラッパの裁きが下されてゆく途上に起こっているというだけではなく、宇宙が創造され被造物である大天使の一人が創造主である神に反逆し、人類の歴史の終末、患難の時、神の怒りの時にまで続いていることについてのしるしであるといえます。                           

この章には、冠りを被った女,龍とか海からの獣といった奇妙な生き物が登場します。
彼らが何者であり、わたしたちとどのような関わりを持っているのか、という問いに対する答えが示されています。  

黙示 12:2 この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。

最初にヨハネが見たしるしは、ひとりの女のしるしです。

ヨハネは黙示録のなかで象徴的に女について4箇所で述べています。この12章1節から述べられている女の他に、黙示録2章20節からは、「あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。---」さらに、17章では、「大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。 地の王たちは、この女と不品行を行ない、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。」19章17節では「小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。」

2章の女は、イゼベルに代表される背教化した、あるいは信仰から離れ去った教会を象徴し、 17章の女は、大水の上にすわっている大淫婦、異邦の偶像礼拝を象徴し、19章の乙女は、キリストの肢体であり花嫁である真の教会を象徴しています。

旧約聖書では、しばしばイスラエルの民が、神の選びの妻、不貞の妻、不真実な妻、不品行の妻、それにも拘わらず変わりない真実な神によって、最後には神のもとへ戻る妻として描かれています。

創世記37章には、ヤコブの12人の息子の一人、ヤコブが溺愛したヨセフが見た夢と、その夢の解読をする話が載っています。

どうか私の見たこの夢を聞いてください。
「見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。
ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」と言った。
ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」(創世記37章6-10)

彼が最初に見た夢は、ある時、畑で束を兄弟がたばねていると、ヨセフの束が起きて立ち、彼の兄弟の束が周りに来てヨセフの束を拝むというものでした。

ヨセフはまた、ほかの夢を見、それは、「見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいる。」(創世記37章9)と、いうものでした。
 
太陽と月は、ヨセフの父母、ヤコブとラケルを意味し、十一の星は十一人の兄弟を意味していました。

このヨセフの見た夢は、ヨセフがエジプトに奴隷として売られ、王パロの見た夢を解読し、王に次ぐ宰相となり、カナンの地が飢饉に襲われヨセフを殺そうとした兄弟たちが穀物を求めてヨセフのもとにやって来、イスラエルと名前を変えられたヤコブも家族とともに宰相ヨセフの庇護を受けることとなったとき現実のものとなりました。 

この黙示録12章に登場する太陽を着、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠りを被った女は、イスラエルの国家、民族を象徴しています。

最初に人が神に背き、サタンの誘惑に従い、この世がサタンの支配するものとなったときから、すべての被造物は虚無に服し、贖われることを苦しみ待ち望んでいます。
そして、すべての女がみごもりと、子を待ち望み苦しんで産むこととなりました。
 
女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」(創世記3章16)

この箇所で女がイスラエルを象徴しているとすれば、女がみごもり、苦しみと痛みのために、叫び声をあげて産まれた子は、紛れなく神がアブラハムに約束された約束の子孫、旧約の約束と預言によって産まれた御子イエスのことを象徴しています。

神の契約、約束はアブラハムをとうして与えられました。
この神の契約は、アブラハムの孫、イスラエル(ヤコブ)とその家族、その民族のなかから王となったダビデの末、救いの君イエスが聖霊によって処女マリアにみごもり、ダビデの子孫として王家の流れを汲むマリアの夫ヨセフに夢で告げられ、この世に来られたとき実現しました。

黙示Rev 12:3 また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。
黙示Rev 12:4 その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。
黙示 12:5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。

次に登場するのは、七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠りをかぶった大きな赤い龍です。
この大きな赤い龍は、あきらかにサタンです。

最初に神に似せて創造された人は、「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2章16,17)という神の警告にも拘わらず、「取って食べてはならない。」と言われた善悪を知る木の実を取って食べるように誘惑され、神のことばに背きました。神のことばを真っ向から否定し、誘惑をしたのはへびでした。このへびנחשׁnaw-khawsh'というヘブル語の原語には、光輝くもの、龍という意が含まれ、イヴを誘惑したときにどのようなかたちをとって現れたのかはあきらかではありません。
へびが腹で這い歩き、一生ちりを食べて生きるようになったのは、罪ののろいの結果だと創世記三章には述べられています。

中国の王朝は古代から龍が権力の象徴とされてきました。
このことは、権力の背後にあるものがこの世を支配するこの世の君、サタンだという聖書の宣言を見るとき、興味深い事実です。

「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあって空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って歩んでいました。」(エペソ書2章1,2参照)

サタンこそこの世に罪と矛盾を引き起こす張本人であり、この世の君であり、殺人者、虚偽に満ちた者であり、神に背くものです。

龍が赤いのは、それが血塗られた色を象徴しているからだと思われます。 

この龍は、七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠りをかぶっていました。
七つの頭については、後の17章でより詳しく記され「七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。」(黙示録17章9参照)と述べられているように、ローマの都で権力の座に就いた7人の皇帝、(アウグストス、タイベリウス、カリグラ、クロディウス、ネロ、タイタス、ドミシャン)のように暴虐な権力を振るった支配者を指していると思われます。
十の角については、ダニエル書2章で描かれている、バビロニア帝国のネブカデネザル王が見た巨大な像の夢の十の足指のように、終わりの時代にサタンの政治的基盤となる地域を意味しているように思われます。これは、ダニエル自身が終わりの日の幻として見た十本の角を持って現れる獣、サタンの化身を指しています。

サタンについては、九章でも詳細を見ましたが、美の極みとして神の御座近くに仕える最も位の高い天使であったサタンが神の御座近くから堕ちたものとなったのは、神を賛美するものから自分自身を誇り、高ぶりによって被造物である自分自身が創造者である神にとって替わろうとしたからでした。

サタンは、天から堕ちるとき、すべての天使たちの三分の一を自分に従う者として引きつれ、これらの天使が悪霊となったことがこの箇所に述べられています。

イエスがこの世に来られたとき、ゲラサの地で、汚れた霊につかれた人が墓場に住みついており、もはやだれも、彼をつないでおくことができない状態になっていたことが記録されています。イエスを遠くから見つけたこの人は、駆け寄って来てイエスを拝しました。イエスに命じられた汚れた霊は、名を尋ねられ、「レギオンと言います。大勢なのですから」と答えています。(マルコ福音書5章1-13)
わたしたちの目には見えなくとも、サタンに従って堕ちた悪霊が大勢存在することは、この世でも現実です。しかし、悪霊がイエスを拝したことからもわかるように、イエスは悪霊に対して絶対の権威をもっておられ、イエスを救い主として信じ受け入れる人々が悪霊に取り憑かれることはありません。
しかし、使徒ペテロが警告しているように「 主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。」(第二ペテロの手紙2章20)

イスラエルの民を象徴する女から産まれる、救いの君メシアがこの世に来られることをサタンはあらゆる手段を用いて立ちはだかろうとし、メシアがこの世に来られると同時に、サタンはこの子を食い尽くそうとしました。

メシアの誕生について東方の博士たちがエルサレムにやって来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。」(マタイ福音書2章2)と、王ヘロデに尋ねたとき、ヘロデはこの幼子を殺そうとベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させたことが記録されています。

イエスは、彼のもとに来るすべての人々を救うメシアとしてこの世に来られ、贖いの業を終えられて復活され、天に昇られ神の御座に座しておられます。
イエスがメシアとしてこの世に来られたにも拘わらず、イスラエルの民は全体としては自分たちの救い、イエスをメシアとして受け入れず、救いを受け取ることを拒んできました。

イエスは再びこの世に来られ、すべての民を治められます。「わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。
あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。」(詩篇2篇8,9)という預言は必ず成就し、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられることが現実のものとなります。(ピリピ書2章10、11)

しかし、このことが成就するには、キリストの贖いを受け入れない罪の裁きの期間、特に患難の時の後半、三年半、千二百六十日の期間サタンとサタンの化身、反キリストの神にたいする最後の反逆の時を経ねばなりません。

黙示 12:6 女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。

患難の時の後半、千二百六十日の期間、サタンはイスラエルの民にこれまでにない、これからもない壮絶な迫害の手を伸ばします。
しかし神は、荒野に逃れるイスラエルのために隠れ場所を用意されます。
イエスは、オリブ山で弟子たちに世の終わりの前兆について話されたとき、「預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。」(マタイ福音書24章15、16)と言われましたが、イエスが言われたのは、この黙示録12章で語られているイスラエルの民が山へ逃げることについて言われています。

黙示 12:7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、
黙示 12:8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
黙示 12:9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。

高い地位を与えられているケルプの一人ミカエルと、その御使いたちがサタンと戦い、サタンと彼に従う御使いたちはミカエルたちに勝てず、もはや天に彼らの居場所はなくなり、地に投げ落とされます。
サタンは神に反逆したときすでに天における地位と権威から地獄に投げ落とされたのではないかと多くの人が疑問に思うかもしれません。

サタンは地獄に投げ落とされる運命を定められていますが未だに地獄には存在していません。実際、サタンは、ときには、光の天使のように現れ、人々を欺き、誘惑し、人々が神に背くように仕向け、偽りによって罪に陥った人々を絶えず非難し、欠点を指摘し、罪に定め滅びに至らせています。

サタンは、神の御前で人々を非難し続け、夜昼絶え間なく兄弟の罪を訴えているのです。
ヨブ記にはサタンが天上で神に訴え、ヨブに災いを下すことを許される場面が出てきます。(ヨブ記1章参照)ヨブに祝福の替わりに災難を与えればヨブが神を呪うにちがいないとサタンは神に訴えています。

ゼカリア書には大祭司ヨシュアが主の使いの前に立っているとき、彼を訴えようとしてその右手にサタンが立っている場面が出てきます。(ゼカリア書3章参照)

十字架に架かられる直前イエスはペテロに、「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカの福音書22章31、32)と、言われているようにサタンは神の前で人々を訴え、非難し続けています。

霊の戦いは天における戦いをその起源とし、今にいたるまで続いている戦いですが、その戦いは神とサタンの戦いではなくサタンと悪霊に対するミカエルとその御使いたちとの戦いなのです。

神はまったく新しい天と新しい地を再び創造されるまで、サタンが人々を欺くことを許されます。それは、造られた被造物である天使と神に似せて造られた人が選び取りによって神との永遠の愛の関係に招かれるためです。

神がこんなにも長い間サタンの跳梁を許されていることは驚くべきですが、サタンが神に対抗する勢力ではなく、神の許しを得ない限り活動できないことがわかります。
サタンに対抗するのは大天使マイケルであり、サタンの敗北は、イエスのなされた業によってすでに決定されていることをわたしたちは知るべきです。

黙示 12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
黙示 12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
黙示 12:12 それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」

サタンは最終的に地獄に落とされ、最後には永遠の暗闇の火の池で最も下等なうじのようになることが定められています。
サタンはわたしたちの罪を指摘し、非難し続けていますが、わたしたちは、キリストの流された血によって罪を赦され解放され勝利の列に加えられているのです。

欺きと誘惑によって罪に陥った人々を絶え間なく非難し、天の神の御座でも夜昼絶え間なく兄弟の罪を訴えるサタンの居場所が天になくなったことは、天とその中に住む者にとって大きな喜びですが、サタンと悪霊たちは、自分の時の短いことを知って地と海で地獄に堕ちるまでの最後のあがきをするのです。

サタンは患難の時代に天上のミカエルとの戦いに敗れ、地上に落ちて、地上にあらゆる災いと、キリストの救いを信じる人々を迫害し、苦難の時をもたらします。

患難の時代にも、キリストの救いを信じ、サタンの攻撃に打ち勝つ人々が存在します。彼らは、イエスの流された血と、神のことばのゆえに勝利を得、死に至るまでもいのちを惜しみません。

黙示 12:13 自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。
黙示 12:14 しかし、女は大わしの翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。

地上に落とされたサタンは、執拗に魔の手をイスラエルに対して伸ばします
しかし神は、イスラエルの民を患難の時代の三年半の期間サタンの攻撃から守られます。

ここで述べられている大鷲の翼が与えられ、イスラエルの民が荒野へ飛んで逃れることについて、神ご自身が、巣を追われたひなのようなイスラエルの民を、滅ぼそうとする者から三年半のあいだわしの翼に乗せて運ぶように、荒野にかくまわれると思われます。

自分の場所である荒野というのは、イスラエルの民が大患難の3年半の期間逃れる場所、現代のヨルダンに位置するエドム人、モアブ人によって建てられた難攻不落の岩の要塞の都市ペトラであると思われます。

黙示 12:15 ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。
黙示 12:16 しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。
黙示 12:17 すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。

蛇はその口から水を川のように吐き出し、女を大水で押し流そうとするというのは、地におちたサタンが軍隊を動員し、荒野に逃れたイスラエルの民を攻めることを意味しています。
しかし、動員された軍隊は、砂漠で神とモーセに反抗したコラの一族が地に飲み込まれてしまったように、(民数記16章1-40参照)軍団全体が地に飲み込まれてしまうのです。

黙示 12:17 すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。

イスラエルの民を迫害し、殲滅しようというサタンの目論見は、軍隊を差し向けたにも拘らずイエスの贖い、イエスを主と信じる残りの人々の大半を荒野に逃がしてしまうという結果に終わります。
サタンはこの期間に生き残った諸国民に対し、最後の神に対する反逆の猛威をふるいます。

黙示12:18 そして、彼は海ベの砂の上に立った。(口語訳)

サタンは異邦人を象徴する海と、イスラエルの民を象徴する陸の砂の上に立ちます。   



 
黙示録のメッセージに戻る


a:2539 t:1 y:0

powered by HAIK 7.0.5
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK