再臨のキリストのイメージ

(黙示録10章の講解)

10章では、ヨハネがこれから起こるイエスキリストが地上に再臨され、買い戻された地上の所有権を宣言される様子を垣間見ます。
七つの封印が解かれ、七つ目の封印が解かれると同時にラッパの裁きが始まり、第六のラッパの裁きから第七のラッパの間に、このことが起こるのを見るのです。
イエスは、この世を買い戻すために死なれました。もともと、この世は神が造られ、神のものです。神は、この世を人に渡され、人はそれをサタンに放棄してしまい、サタンの手にこの世は渡ってしまいました。
イエスは、サタンをこの世の君とよび、使徒パウロもサタンをこの世の神と呼んでいます。

イエスは、十字架の上で血を流され、わたしたは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの尊い血によって贖われ、キリストはこの世を買い戻す代価の支払いを完了されました。
しかし、わたしたちは、万物の所有権を宣言され、この世が完全に神の国として贖われているのを見ていません。

「 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。 」ロマ書8章22-25)

わたしたちは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。(エペソ人への手紙4章30参照)

「イエスは万物をその足の下に従わせられました。万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。それなのに、今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見てはいません。ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。」(ヘブル人への手紙2章8)と、述べています。
この世はいまだに神に敵対し、イエスに反抗をしています。しかし、イエスがこの世の所有宣言をされるとき、わたしたちは、イエスの栄光をみることになります。

この10章ではイエスがこの地に神の国をたてられるときの栄光のイエスの様子がヨハネの見た幻によって描かれています。

神が言われた、「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。」(詩篇2章8)ことが実現します。

黙示 10:1 また私は、もうひとりの強い御使いが、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭上には虹があって、その顔は太陽のようであり、その足は火の柱のようであった。
黙示 10:2 その手には開かれた小さな巻き物を持ち、右足は海の上に、左足は地の上に置き、
黙示 10:3 ししがほえるときのように大声で叫んだ。彼が叫んだとき、七つの雷がおのおの声を出した。

この箇所で、もうひとりの御使いという表現が使われているために、この御使いが誰なのかという議論が神学者たちのあいだであります。
この御使いἄγγελος  ang'-el-os という言葉は、「代表する者」という意味に使われ、したがって天を代表される方、イエスキリストであるという解釈が多くの神学者によってされています。

「雲に包まれて、天から降りて来、その頭上には虹があって、その顔は太陽のようであり、その足は火の柱のようであった」という描写は、ヨハネが見た「その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」(黙示録1章15,16)という描写に大変よく似ています。

黙示録4章でも「天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。」(2,3節)と描写されているように、キリストご自身が新しい契約であり、にじによってそのことが象徴されている箇所があります。

旧約聖書には栄光のキリストの来臨の様子が様々な箇所に描写されています。

イザヤ書には「 主は勇士のようにいで立ち、戦士のように激しく奮い立ち、ときの声をあげて叫び、敵に向かって威力を現わす。」(イザヤ書42章13)

「『主は高い所から叫び、その聖なる御住まいから声をあげられる。その牧場に向かって大声で叫び、酒ぶねを踏む者のように、地の全住民に向かって叫び声をあげられる。
その騒ぎは地の果てまでも響き渡る。主が諸国の民と争い、すべての者をさばき、悪者どもを剣に渡されるからだ。・・主の御告げ。・・
万軍の主はこう仰せられる。見よ。わざわいが国から国へと移り行き、大暴風が地の果てから起こる。 その日、主に殺される者が地の果てから地の果てまでに及び、彼らはいたみ悲しまれることなく、集められることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。』」(エレミア書25章30-33)

「 彼らは主のあとについて来る。主は獅子のようにほえる。まことに、主がほえると、子らは西から震えながらやって来る。」(ホセア書11章10)

「主はシオンから叫び、エルサレムから声を出される。天も地も震える。だが、主は、その民の避け所、イスラエルの子らのとりでである。」(ヨエル書3書16)

と、栄光のキリストが描写され、これらの描写がこの箇所の御使いの描写とも一致しています。
第七の御使いがラッパを吹き鳴らし、最後の裁きの直前に、王としてこの地上にこられるキリストの姿が幻によってヨハネにしめされています。

黙示 10:4 七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。すると、天から声があって、「七つの雷が言ったことは封じて、書きしるすな。」と言うのを聞いた。

ヨハネが七つの雷の語ったことを書き留めようとしたとき、天から声があって、「七つの雷が言ったことは封じて、書きしるすな。」と言うのを聞きました。

七つの雷が何を語ったのか、についていろいろな詮索がされていますが、聖書にはこの七つの雷が語った内容を推測できる確定的なものはどこにも見当たりません。したがって、七つの雷の語った内容については、わたしたちは知るよしもありません。
このことは、わたしたちに神のことばのすべてが知らされていないこと、神のことばのすべては栄光のキリストにお会いするまで解らないことがあることを示しています。

黙示 10:5 それから、私の見た海と地との上に立つ御使いは、右手を天に上げて、
黙示 10:6 永遠に生き、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方をさして、誓った。「もはや時が延ばされることはない。
黙示 10:7 第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」

神は長い期間、この世の所有宣言をされることを遅らせてきました。現在もわたしたちは、キリストがこの世の所有宣言をされることを待っています。

わたしたちは、「御国が来たりますように。御心が天でおこなわれるように、地にも御心が行われますように。」という祈りを長いこと祈って来ました。栄光のイエスが地上に来られるとき、「もはや時が延ばされることはない」のです。

第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就します。

第七のラッパが吹き鳴らされるとともに天に「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」という大きな声々が起こるのをヨハネは聞きますが、いよいよ地球の権利書を開いて、右足は海の上に、左足は地の上に置いて、栄光のイエスキリストが「もはや時が延ばされることはない」と宣言されているのです。

第七のラッパが吹き鳴らされる音とともに神の国が建てられてゆきます。地上に訪れる素晴らしい国について、「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。」(イザヤ書11章6-7)ということが現実となり、そのときに、わたしたちの想像を超えた栄光の御国がもたらされます。

御国が回復されるとき、貧しい者に良い知らせが伝えられ、心の傷ついた者が癒され、盲人の目は開かれ、耳しいた者の耳はあけられ、足なえは鹿のようにとびはね、おしの舌は喜び歌い、荒野に水がわき出し、荒地に川が流れ、荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせ、盛んに花を咲かせます。
主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わないという状態が出現します。

人々は主の栄光を賛美し、地の栄光が完全に回復されます。わたしたちは、神がこの地を創造されたときの栄光も神が意図された地球もまだ体験していません。

詩篇には「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。
しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いている。」と述べられているように、罪によって神がはじめに創造され意図されたものから不完全なものとなってしまったわたしたちの見る自然でさえも神の創造の御手の素晴らしさを知ることができます。

御国がもたらされ、すべてが回復されるときの神が意図された創造の素晴らしさと栄光が計り知れないものであり、イエスを主とするものがそこに生かされる日は間近に迫っています。

黙示 10:8 それから、前に私が天から聞いた声が、また私に話しかけて言った。「さあ行って、海と地との上に立っている御使いの手にある、開かれた巻き物を受け取りなさい。」
黙示 10:9 それで、私は御使いのところに行って、「その小さな巻き物を下さい。」と言った。すると、彼は言った。「それを取って食べなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」
黙示 10:10 そこで、私は御使いの手からその小さな巻き物を取って食べた。すると、それは口には蜜のように甘かった。それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。
黙示 10:11 そのとき、彼らは私に言った。「あなたは、もう一度、もろもろの民族、国民、国語、王たちについて預言しなければならない。」

ヨハネは、海と地との上に立っている御使いのところへ行って、開かれた巻き物を受け取りました。するとこの御使いは、「それを食べてしまいなさい。」と言いました。
この地球の所有権を証明する権利書の巻物を食べるというのは、神のことば、神の契約の書かれた証書をよく読みこなすことを意味しています。
そこに書かれている内容が身体の一部となるほどによく読みこなしなさいと御使いはヨハネに告げています。                                    
そこに書かれている約束が素晴らしく、神のご計画と約束が素晴らしいものであることを味わい、口には蜜のように甘かったというのです。しかし、契約が完全に成就してゆくために、よく御ことばを噛みしめ、消化しようとしてゆくとき腹には大変にがいものだということに気づかされたというのです。
神の約束は素晴らしく甘い希望に満ちていますが、その約束が完全に成就するためには腹に苦い苦しみの体験があることを知るようになるのです。この世は七つの封印が開かれてゆくときの悲惨な苦い状況をくぐり抜けなければなりません。
御使いたちは、ヨハネに「あなたは、もう一度、もろもろの民族、国民、国語、王たちについて預言しなければならない。」と告げました。 



 
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