教会に対するメッセージ-1

(黙示録2章の講解)

それぞれの七つの教会にたいして、イエスは、「わたしはあなたの行いを知っている」と言われ、その状態が述べられています。そして、それぞれの教会にたいして、褒めること、改めること、永遠の希望についての具体的な約束がされています。そして、すべての教会に「耳のある者は御霊が言われることを聞きなさい」という勧めで結ばれています。

エペソの教会へ

黙示 2:1 エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。

栄光のイエスは、右手にキリストの身体の教会に仕える者たちを支えられ、その間を歩まれます。

黙示 2:2 「わたしは、あなたの行ないとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。
黙示 2:3 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

エペソは、古代の七不思議のひとつに数えられたアルテミスの神殿の実在した異邦の神々の祀られる地であり、ギリシャの時代から栄えた湾港都市として古代ローマ帝国時代には東方にたいする重要な拠点として巨大な図書館と当時最大、5万人を収容する劇場を備える都でした。
この地は、キリストの十字架と復活から20年を経ずして、使徒パウロによって福音が伝えられ、イエスをキリストと信じ集まる人々の拠点となりました。
パウロの後、テモテがその後を継いだとされていますが、紀元70年にローマ軍によってエルサレムの神殿が焼かれ陥落した後、エルサレム教会の人々、ヨハネをはじめ生き残った多くのユダヤ人のクリスチヤンが移住し、ヨハネはエペソの集まりの他にも黙示録に名前が記録されている他の箇所の教会を牧したとされています。
使徒書20章にはパウロがエペソを離れるときに長老たちを集めて、「 私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。
あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。 」(使徒書20章29-30)と述べたように、多くの使徒と自称する偽教師がエペソにはあらわれました。
イエスは、エペソの教会がこれらの使徒と自称する偽教師をためし、その偽りを見抜く識別、良い行いと労苦、忍耐をほめておられます。エペソの教会は歴史的には使途の時代から1世紀初頭に該当する教会であり、エペソという語源には英語のダーリン(愛する者)という意味がふくめられています。

黙示 2:4 しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

しかし、エペソの教会は多くの人々が集まり、活動が盛んになるにつれてイエスキリストの愛に対する応答(第二コリント人への手紙5章14参照)によって行うのではなく、習慣や惰性、義務や外からの動機によって活動が続けられるようになってしまいました。
愛をなくしたのではなく、初めの愛から離れてしまったのです。(第一ヨハネの手紙4章8)
イエスは、愛によって動機付けられたことが惰性や習慣になってしまうとき、三つの注意をされています。

黙示 2:5 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

一つ目は、どこから離れてしまったのかを思い起こす、二つ目は離れたことを悔い改め、自分の心の状態を改める、三つ目は、最初の時の愛に動機付けられて行った行いに戻り、それを繰り返す、ことを勧めておられます。もし、悔い改めることがなければ、燭台をその置かれた所から取り外してしまう、と言われています。
燭台は、この世にたいして神の栄光を照らす光となる場所です。神の栄光を照らす光となる場所はイエスの居られる場所であり、愛のない人々の集まりには共に臨在される聖霊が働かれないとイエスは警告されています。

黙示 2:6 しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行ないを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。
黙示 2:7 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』 

エペソの教会は、霊的な階級や格付けをすることを嫌いました。神は他の人や物をとおして人々が神のもとへ来ることを嫌われ、わたしたちが直接神のもとへ来ることを望まれています。
「 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」(第一テモテ2章5)
ニコライ派、霊的な階級、確立された教職や長老が一般の信徒を支配することをイエスは憎むと言われています。
御霊の言われることを聞いて勝利を得る者、すべての教会に勝利を得る者が残されている。

「わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」(黙示録2章7)
「決して第二の死によってそこなわれることはない。」(黙示録2章11)
「わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」(黙示録2章17)
「 最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。」(黙示録2章25)
「汚れのない白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。」(黙示録3章5)
「わたしの神の聖所の柱としよう。」(黙示録3章12)
「わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。」(黙示録3章21)

「 神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせた。」(創世記2章3)
神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」(創世記3章22) 
人が善悪を知る木の実をとって食べた後に、悲惨な状態で人が永遠に生きるものとならないために、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれました。神は、わたしたちが神との関係を壊し、信頼関係を断ち切ってしまったにも拘わらず、いのちに至る道を与えてくださいました。多くの人々が自分の知っていることに頼り、それを神とします。  
御霊の言われることを聞いて勝利を得る者は、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることになります。

スミルナの教会へ

黙示 2:8 また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。
黙示 2:9 「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。・・しかしあなたは実際は富んでいる。・・またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。

スミルナの地はエペソから約40マイル北方に位置するエペソに次ぐ当時の商業都市でエーゲ海から30マイルほど入り込んだ港湾地域に位置していました。当時はローマに忠誠を誓う植民都市であったため、使徒パウロの生まれたキリキアのタルソと同様に、この都市で生まれた人々にはローマ市民権があたえられ、ユダヤ人の大きなコミュニティーが存在し、会堂(シナゴーグ)が多く存在しました。
スミルナの教会の御使いというのは、スミルナの教会の群れを牧す者という意味です。
当時スミルナの教会を牧していたのはヨハネとともに福音を伝え、イエスがこの世に来られたメシアであり、十字架の贖いと復活によって人々に永遠のいのちを与えられ、やがて来られる主であることを伝えたポリカープといわれています。
スミルナの地は、現在トルコのイズミールという地名となっていますが、この地には現在もポリカープを記念する教会が存在しています。
初代の教会のリーダーたちは、御言葉を伝えるだけでなくイエスがメシアであり主であることを告白し、御言葉を忠実に行う人々にたいしてこの世から加えられる迫害や試練を共に受けました。
ポリカープは、ローマ帝国の迫害のため90歳を過ぎ殉教をしました。
ローマ政府の役人が「このような老人を殺すのは忍びない」として、イエスキリストへの思いを考え直し皇帝を神として崇拝することをを宣言すれば安楽な一生を保証することを申し出たとき、ポリカープは、「わたしは80年間、イエスキリストを救い主として人生を歩んできました。その人生で主は一度もわたしを拒まれたことはありません。わたしもイエスがわたしの主であることを拒むことはできません。」と答え役人の申し出を断りました。このため、十字架に貼り付けられ、薪に火を付けて火あぶりの刑に処せられました。このときも、役人が最後に残酷な火あぶりの刑を思いなおさせるために、「火あぶりの刑は苦しいぞ、もう一度イエスキリストへの思いを考え直せ」という申し出に「イエスキリストを否み、神の裁きの永遠の地獄の火はもっと苦しいぞ」と答え、十字架に貼り付けにされ、薪に火が付けられてゆくなかで、ローマ兵がポリカープの肉体を槍で突いたとき、身体から流れる血が燃える火を消したという伝説が残っています。
スミルナの教会は長老やリーダーたちが、キリストの名の故に苦しみと、この世での貧しさを共にしました。
イエスは、迫害と苦難に出会い、苦しみと貧しさのなかで信仰と、イエスにある希望の火を消さなかった人々にご自身が迫害と苦難、十字架の死をとおして復活の勝利、死に勝利されていることを思い起こさせ、励ましを与えておられます。(ヨハネ福音書11章25、14章19参照)
スミルナの教会が自分たちに加えられる苦難と貧困について、イエスは、「実際は、あなたがたは富んでいる。」と評価されています。(ヤコブ書2章5参照)
初期の教会のクリスチャンたちには、律法的なユダヤ教を信奉し、イエスがメシアであることを否定するユダヤ人たちによって迫害や暴動が扇動されました。
ユダヤ人たちは、バビロニア帝國によってソロモンの神殿が焼失し、捕囚となり世界中に散在するようになった頃からユダヤ人の会堂を建て、伝統を守ってきましたが、イエスは、彼らのことをサタンの会堂に属する者と呼んでいます。
ステパノの弁論、使徒書6章―8章 参照)
「ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来た。
しかし、この群衆を見たユダヤ人たちは、ねたみに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなくののしった。
そこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。」 (パウロの第一回伝道旅行、ピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂での記録、使徒書13章14、45,46参照)
イエスは、イエスを素直にキリスト、救い主として喜び、永遠のいのちの希望に人生を歩もうとする人々が、宗教的伝統に固執し、福音を曲げて伝える人々によってそしられ、ののしられていることを知っていると言われています。

黙示 2:10 あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
黙示 2:11 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」』

キリストを主として人生を歩むとき、必ずこの世からの迫害と苦難に出会います。この迫害と苦難の裏にはサタンが存在しています。
「 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 (ヨハネ福音書16書33)
神が人をとおして働かれるように、サタンも人をとおして働きます。
歴史的には、スミルナの教会は、ローマ帝国がクリスチャンを迫害した時代、紀元100年頃から4世紀初めの頃の時代に該当している教会と言えますが、この期間には十度にわたるローマ皇帝からの迫害にさらされました。ネロ(紀元64年)、ドミシャン(紀元96年)、トラヤヌス、マーカス・アルレリウス(紀元161年)セゼルス(紀元200年)、マクシミリアン(紀元235年)デシウス(紀元249年)ヴァレリアン(紀元257年)、アウレリアン(紀元270年)、ディオクレシァン(紀元303年)
栄光のイエスは、スミルナの教会に対しては落ち度や注意の警告をされておられません。
スミルナは、迫害と苦難によって信仰が清められ、純粋なものとされた教会です。
イエスは、「死にいたるまで忠実であれ、そうすればいのちの冠りを与えよう。」と、励まされています。
いのちの冠り、義の冠り、(第二テモテ4章8、ヤコブ書1章12、参照)
人には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。(ヘブル書9章27、28)
「第一の復活にあずかる者は第二の死は、なんの力も持っていない」(黙示録20章6)のです。
スミルナという語の語源は、砕かれたという意味ですが、マアμύρον myrrhという香木を砕いてできる没薬は、イエスが誕生した後、東方から占星術の学者たちが捧げた贈り物の一つでした。(マタイ福音書2章2-11)
没薬(マタイ福音書27章48)イエスの贖いの死を象徴している。 
イザヤ書におけるイエスの再臨の預言、栄光のメシアを拝するためにすべての国々の王たちが贈り物を携えてくるとき、黄金と乳香については言及されているのに没薬については、贈り物に含まれていないことは興味深いことです。 

ペルガモの教会へ

黙示 2:12 また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。
黙示 2:13 「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

ペルガモは、スミルナからさらに北方40マイルほどに位置し、古代ギリシャが発祥した紀元前1200年頃に建設された都市でした。広い肥沃な平野に突然三方から垂直にそびえる岩石と残る一方のの険しい狭い道を登ると達することのできる高い丘の上の上に立つ自然の要塞に囲まれた難攻不落の地でした。この地は、当時ローマ帝国のアジア州の最重要軍事拠点として政治、文化の栄えた地でした。
この地には、ギリシアのゼウス神が祀られた大祭壇が台地に存在し、オリンピアの神々に対する礼拝や、異教的な古代宗教の慣習が色濃い地域でした。ギリシャ神の癒しの神、アスクレピオスは蛇をもって象徴され、快楽とセックスを象徴するバッカス、ヴィーナスの神々が祀られ、官能的な儀式によって、その地域の人々に強く影響を与えていました。さらに、ローマの初代皇帝、アウグストスを祀る大祭壇が建てられ、ドミシャン帝の時には帝国に住む住民にたいして皇帝礼拝が強要され、この地の人々も皇帝礼拝を強要されました。
このような地にも福音は伝えられ、多くの人々がキリストを信じました。栄光のイエスは、そのような異教の地でキリストを信じる人々を励ましておられます。
ペルガモの地はイエスがキリストであることを信じる人々が皇帝礼拝のための神殿が同時に存在するという土地でした。
栄光のイエスは御ことばによって裁かれる方です。もし、あなたが御ことばを否むなら、あなたが否んだ御ことばによって永遠の裁きを受けることになります。
異教、異端の神々の欺きのなかでもイエスキリストの名を堅く持ち続け、皇帝礼拝を拒否し殉教したアンテパスのような人々を栄光のイエスは誉めておられます。

黙示 2:14 しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行なわせた。

ペルガモの教会にはイエスがキリストであることを言い表しながら皇帝礼拝に妥協したり、偶像を祀る儀式に参加する人々が存在しました。それらの人々をキリストは、バラムの教えを奉じている人々と呼んでいます。
バラムの教えとは、イスラエルの民がモーセによって荒野の旅をしていたとき、バラムがモアブの娘によって男たちを誘惑させ、イスラエルの神ではない異教の神を礼拝させたことを指しています。この民数記に詳しく記録されているバラムによってイスラエルの人々が偶像に妥協し、不品行を行ったと同様の欺きと妥協し、偶像礼拝に陥る危険にたいして警告がされているのです。(民数記22章―24章参照)

黙示 2:15 それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。
黙示 2:16 だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。
黙示 2:17 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』

テアテラの教会へ

黙示 2:18 また、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。『燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、神の子が言われる。
黙示 2:19 「わたしは、あなたの行ないとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行ないが初めの行ないにまさっていることも知っている。

テアテラはペルガモの南東約35マイルに位置し、ギリシャ帝国のアレクサンダー大王が世界制覇を達成するため、紀元前約300年頃、将軍の一人セレウコスに軍事拠点として建てさせた地域でした。
一世紀になって福音が伝わり、ヨハネが長老としてこの地域を牧していた頃は多くの職人組合ギルドが存在していたということです。ことに、織物や染物のギルドが存在し、ここから古代世界に商人が散在していったということです。
聖書には、使徒パウロの二度目の伝道旅行において、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられ、船でマケドニア地方のピリピに渡り、最初に福音を宣べたとき、パウロの話しを聞いていた婦人たちのなかに心を開いてイエスキリストの福音を受け入れたルデヤという女性の名前が記録されています。ルデヤはパウロから福音を聞き、心を開いてイエスキリストを受け入れ、彼女もその家族もバプテスマをうけました。(使徒書16章1-21参照) 
イエスキリストの福音をピリピで最初に受け入れたこの女性、ルデヤはテアテラ出身の紫布の商人でした。
ルデヤとその家族が故郷テアテラに戻り、そこで福音を伝えたことは想像に難くありません。 エルサレムの神殿が紀元70年に焼き滅ぼされ、ローマ皇帝の迫害によって、使徒ペテロや使徒パウロが殉教した後に使徒ヨハネが長老としてこの地を牧したのもテアテラの地にこのような素地があったと思われます。
栄光のイエスは、この地の人々の信仰、愛、奉仕のわざと活動をほめておられます。
そして、彼らの後のわざが、初めのものよりもまさっていると言われています。

キリストは、すべてを見通され、判断し燃える炎のような目 すべてを見通し、判断する、各人の働きの真価をためす(第一コリントの手紙3章13)、人の行いのすべての動機をも明らかにされる燃える炎の目をもって、すべての罪と汚れとを裁くしんちゅうの足を持った方炉で精錬され光輝く真鍮(しんちゅう)の足  罪と穢れを公平に厳しく裁く(民数記21章9、ヨハネ福音書3章14)としてあらわれ、次のように言われています。

黙示 2:20 しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行なわせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。

「イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行なわせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。」という警告がされています。

イゼベルは、イスラエル統一王国が北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した後に、北王国イスラエルのアハブ王の后としてシドンから迎えられ、バアル信仰を持ち込みイスラエル王国を滅びに至らせた女性でした。(列王記上16章30-33、19章1-4、21章1-5、15-16)
「アハブのように、裏切って主の目の前に悪を行なった者はだれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたからである。彼は偶像につき従い、主がイスラエル人の前から追い払われたエモリ人がしたとおりのことをして、忌みきらうべきことを大いに行なった。」(列王記上21章25-26)

黙示 2:21 わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。
黙示 2:22 見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行なう者たちも、この女の行ないを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

神は、わたしたちが偶像礼拝をすることを嫌われます。栄光のイエスは、イゼベルと姦淫を行い偶像礼拝や不品行を止めない人々がテアテラの教会に存在することに対し、その人々が大きな患艱に投げ込まれる危険を警告されています。

テアテラの教会の人々のなかに、イゼベルによって偶像礼拝に妥協し、バアルやアシュトレトの神々を拝んだように、人々が神を形に刻んでそれを拝み、宗教儀式に捉われ、生きた神との関係から離れ、イエスキリストの福音からこの世の思いによってこの世の権力、支配、豊穣に心を移し、キリストにある永遠のいのちの救いから漏れてしまうことのないように警告をされています。

黙示 2:23 また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行ないに応じてひとりひとりに報いよう。
黙示 2:24 しかし、テアテラにいる人たちの中で、この教えを受け入れておらず、彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていないあなたがたに言う。わたしはあなたがたに、ほかの重荷を負わせない。
黙示 2:25 ただ、あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい。
黙示 2:26 勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。
黙示 2:27 彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。
黙示 2:28 また、彼に明けの明星を与えよう。
黙示 2:29 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』 

イゼベルという女が不品行の女であり、この女の行い、欺きに引き込まれるときサタンの深いところを知る者となり、本人のみならず子孫にまで滅びが及ぶことが警告されています。
テアテラの教会で偶像礼拝と霊的不品行の欺きにとどまる者は、本人だけでなくその子供、子孫にまで滅びと死に至る影響があるというのです。

ペルガモの教会でもそうであったように、宗教的で見せかけの霊的「教え」によって人々が偶像礼拝の欺きに巻き込まれ、そのような欺きが教会の制度や教義に様々に取り入れられる危険が警告されています。          
しかし、このようななかにあってもイエスの贖い、イエスが主である信仰を堅く守り、勝利を得る者、神のことばを聞き、それを行う者には、キリストが神の国を治められるときに、共に諸国民を支配する権威を授けられる。という素晴らしい約束が与えられています。(詩篇2編7-9)

テアテラの教会は歴史的には主に中世に確立されたローマカソリック教会の時代に該当していることは間違いありません。歴史的に1世紀から6世紀後期の教会に該当するエペソの教会からペルガモの教会は、歴史的にはその役割を終えた教会なのに対してテアテラの教会からラオデキアの教会に至るまでの4つの教会は、栄光のイエスが教会を携挙されるときまで続く教会です。
栄光のイエスが述べられる警告は、教会に集う人々にもキリストが花嫁である教会を迎えられるとき、取り残される人々の存在する可能性のあることがわかります。

教会を牧する長老、監督、執事は福音を伝え、神のことばを忠実に教え、教会の世話をする者として福音を信じキリストの花嫁、肢体として呼び集められた人々に公平に仕える人々でした。 しかし、教会がこの世に認められ、組織化されるにつれて、彼らと一般の信徒が分けられ、教会の長老、監督や執事が一般の信徒たちを支配したり、霊的な格付けがされるようになりました。

黙示録のキリストの警告にニコライ派、ニコライ宗の教えを嫌われると言われていることは、このことを意味しています。

ペルガモの教会でも見たように、ローマ帝国がキリスト教を容認し、時のローマ皇帝コンスタンチンによって紀元313年、キリスト教が国教と定められる頃から法皇にポントス・マキシマスの称号が与えられ、それが伝統化し、教会の監督、長老には称号が授けられ、彼らにこの世での権威が与えられました。

西ローマ帝国が内部崩壊してゆくとともに、6世紀後半から7世紀にかけてグレゴリオ1世は、伝統化されたポントス・マキシマスの称号をより強固なものとし、異民族の侵入によって弱体化しつつあったローマ帝国時代の文明、文化をキリスト教化する基礎を築きました。
歴代の法皇は、これ以降も影響力を増し、特に西ローマ帝国地域を中心に崩壊しつつあったローマ文明を維持しながら中世ヨーロッパ文明を発展させてゆきました。
この時代は、どの地域でも政治と宗教が一体化され、それがこの時代の人々の考え方を支配していました。

ヨーロッパ文明において、この時代は法皇の権威が君主の政治的権威を凌ぐものとなり、このために、この世の権威や支配を求める人々が法皇権を得るために、法皇の職が金銭によって取引されたり、組織化された教会を維持拡大するために人々が搾取されたり、土地を奪われるという腐敗が起こりました。

4世紀から12世紀頃にかけて、中世のキリスト教会が、特にヨーロッパの人々の道徳感、信仰、献身と学問、教育などに果たした役割は言うまでもなく大きなものであることは否めない歴史的事実です。
しかし、一方でこの時代キリスト教会が権力と結び、この世の権勢を背景に人々から富と土地を奪い、人々に仕えるべき教職者たちが人々を支配し、苦しめたことも否めない事実でした。

ローマカソリック教会の伝統のなかには、教会という組織に属すること、熱心に献身することによって救われるという伝統が存在します。さらに、キリストの十字架の贖いを記念する聖餐の儀式が、聖餐のパンとブドウ酒を受けるときに、今も引き続きキリストの肉と血が捧げられていると解釈する教義があり、(これをtranssubstitution と呼びます)これらは、神のことばから矛盾する伝統であり、教義です。

キリストの「イゼベルという女をなすがままにさせている」というテアテラの教会にたいする警告は、このような教会のなかに存在する欺きにたいする警告でもあります。



 
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